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東京高等裁判所 昭和56年(う)829号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人梓沢和幸外八名連名提出の控訴趣意書及び主任弁護人梓沢和幸提出の控訴趣意書補充書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書及び答弁補充書(その一)に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第四(控訴趣意書補充書による補充の主張を含む)(理由不備ないし理由そご等の主張)について

所論は、要するに、原判決には、次のような理由不備ないし理由そご等がある。すなわち、

(一)被害者吉田たけ(以下、「被害者」という。)の監禁された小屋(以下「監禁小屋」という。)付近から採取されたタイヤ痕(以下、「現場タイヤ痕」という。)に関する石川巧作成の鑑定書(以下、「石川鑑定書」という。)の評価において、(1)石川鑑定書主文では現場タイヤ痕と被告人所有の原判示軽四輪貨物自動車スズキキヤリイ(以下、「被告人車」という。)のタイヤ模様とが同一であることの証明ができなかつたとしているのに、原判決は、理由を示すことなく、これを、同一とまでは断言できない趣旨と解し、(2)現場タイヤ痕と被告人車タイヤの溝幅の違いにつき、石川巧の原審証言(以下、「石川証言」といい、石川鑑定書と合わせて「石川鑑定」という。)は測定誤差でないとしているのに、原判決は、理由を示さずに、これを測定誤差とし、(3)原判決は、現場タイヤ痕と被告人車タイヤには部分的ながら類似性の認められる特徴点もあるとしながら、その特徴点が何かについて全く述べていない理由不備があり、

(二)原判決は、被害者宅等への脅迫電話の主を被告人と認定するにつき、被告人が猟銃をもつて被害者を連れ出して小屋に監禁したこととこれに時間的・内容的に符合する電話がかかつている点などを合わせて右認定の根拠とするが、一連の犯行の全部について被告人の犯行か否かが争われている本件において、その一部の犯行を被告人によるものと認定するのに、争われている他の犯行の一部を被告人が犯していることを理由とするものであるから、理由を示したことにならず、

(三)原判決は、被告人車から被害者の毛髪や指紋が発見されなくても被告人の犯行を否定する根拠とならないとするが、その理由が示されていず、

(四)原判決は、被告人が監禁小屋に予め藁を敷いておいた旨認定するが、その証拠・理由が示されていず、

(五)原判決は、昭和五四年二月二七日午前中(以下、昭和五四年については月日のみを記載する。)に被告人が菅谷朝一方電話番号記載の小菅勝好(以下、「小菅」という。)の名刺を胸ポケツトに入れた緑色防寒ジヤンパーを着ていたと認定しているところ、他方、被告人が二月二六日自宅を出る際茶色のジヤンパーを着ていて、二七日夕方取手競輪場駐車場で菊地民一(以下、「民一」という。)の持参した衣服と着替えるまで着衣を替えていなかつた旨認定しているのは相互に矛盾した認定で、理由そごがあり、右原判示の二六日の茶色ジヤンパー着用と二七日の緑色ジヤンパー着用のいずれかについて事実誤認がある、というのである。

しかしながら、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査して原判決を検討しても、原判決には所論のような理由不備ないし理由そご、事実誤認は認められない。以下、所論に即し説明を付加する。

所論(一)については、原判決が「弁護人及び被告人の主張に対する判断」(以下、「判断」という。)の四項において詳細に説示するところは、関係各証拠に照らし、相当として是認できるのであり、原判決には所論のような理由の不備ないしそごは認められない。所論のうち(1)については、原判決の判断四項4に説示するとおりであり、なるほど、石川鑑定書では原判示〈1〉、〈2〉の現場タイヤ痕と被告人車左前輪タイヤ模様とが同一であるとの確認はとれなかつたとされるが、その理由は、両者はいずれもブリヂストンタイヤ株式会社製五、〇〇―一〇マイテイ・リブであるところ、その年間生産量が約二〇〇万本であり市場に多数出荷されていること及び現場タイヤ痕には被告人車左前輪タイヤのトレツド部被傷が確認できなかつたことによるとするものであり、石川証言をも合わせ考えると、現場タイヤ痕と被告人車のタイヤとは別個のものであるというのではなく、同一とまでは断言できないという趣旨と解され、なお、中田美代志作成の鑑定書(以下「中田鑑定」という。)でも、原判示現場タイヤ痕〈1〉、〈2〉が被告人車左前輪タイヤ模様及びこれによつて印象採取されたタイヤ痕と酷似し、原判示現場タイヤ痕〈3〉が被告人車左後輪タイヤと類似しているが、前記〈1〉、〈2〉のタイヤ痕では多くの付着物や不鮮明部分が多いことなどのために前記現場タイヤ痕と被告人車タイヤとが同一との断定的結論に至らず、前記〈3〉のタイヤ痕は不鮮明で概略的な比較しかできないためより進展した結論が得られないとしているにすぎず、決して全くの否定的結論をとつているわけではなく、石川鑑定は右中田鑑定とも整合していないわけではないのであり、従つて、叙上と同旨の説示をする原判決には石川鑑定書の趣旨解釈に関し所論のような理由不備はない。所論のうち(2)については、原判決の判断四項4(三)に説示するとおり、石川証言では、現場タイヤ痕と被告人車のタイヤの溝幅の数値の違いは、前示〈1〉、〈2〉のタイヤ痕の溝幅について溝の両端が明確でないためであるとするのであるから、両者の溝幅の数値の違いを測定上の誤差としてはいないとしても、両者を別個のものと判断するよりは、この程度の差異は測定上の誤差とみるのが相当であるとする原判決の説示は是認することができ、原判決が所論の点につき理由を示していないとはいえないから、所論は失当である。所論のうち(3)については、原判決が現場タイヤ痕と被告人車タイヤとの間での類似性の認められる特徴点を具体的に述べなかつたとしても、理由不備ということはできないだけでなく、原判決がその判断四項4で説示するところは十分首肯できるのであるから、所論は失当というべきである。

所論(二)については、なるほど、原判決がその判断三項4の末尾部分において述べるところは一見その措辞に誤解を招くきらいもなくはないが、その趣旨とするところは、原判決がその判断二項において、被告人が被害者を猟銃をもつて連れ出して小屋に監禁したとの被害者の述べるところを信用できるものとして右事実が証拠上肯認しうることを前提とし、右拐取・監禁の事実に、これと時間的・内容的に符合する身代金要求の電話のかかつてきたこと及びその電話の声が被告人の声と類似している点とを合わせて本件電話の主が被告人であると認定したものと解され、決して未だ証明されてない事実を事実認定の資料としたものとは認められないから、理由不備をいう所論は失当である。

所論(三)については、原判決がその判断八項1において説示するところは相当として是認でき、決して所論のように理由不備があるものとは認められないから、所論は失当というべきである。

所論(四)については、監禁小屋の所有者鈴木伝男の司法警察員に対する供述調書(以下司法警察員に対する供述調書を「員面調書」という。)によると、同小屋には藁を敷いていなかつたというのであるが、被害者が監禁された際小屋に藁が敷いてあつたことは同人の捜査官に対する供述調書及び司法警察員直江忠敬作成の三月八日付実況見分調書によつて明らかであり、原判決は、被告人において被害者を同小屋に監禁したとするものであるから、その犯行に先立つて同小屋に藁を敷いたのも被告人である旨その掲げる関係証拠によつて推認したものと考えられ、従つて、原判決に証拠ないし理由が示されていないとすることはできず、所論は理由がない。

所論(五)については、なるほど、原判決が、被告人の着衣につき、二月二六日自宅を出るときは茶色のジヤンパー(判断二項2(四))、二七日午前一一時一六分ころ株式会社松村組トーア工業株式会社共同企業体常磐自動車道筒戸工事事務所(以下、「共同企業体事務所」又は「事務所」という。)にいた際は緑色防寒ジヤンパー(判断六項7(二)、七項5(三))をそれぞれ着用していたとしながら、他方、二月二六日午前中に自宅を出てから二七日夕方取手で民一の持参した衣服と着替えるまで着衣を替えていない(判断二項2(五))旨判示していることは所論のとおりであつて、右判示には一見矛盾があるかのように見受けられなくはない。しかしながら、原判決は被告人の二月二六日家を出るときの着衣と二七日午前一一時一六分ころ事務所にいた際の着衣とを明らかに異つたものとして説示している(以下、「甲説示」という。)のであるから、原判決が被告人において二七日夕方取手で民一の持参した衣服と着替えるまで着衣を替えていない旨説示する(以下、「乙説示」という。)ところは、甲説示と矛盾しない趣旨のものと解すべきであり、このことは、乙説示が被告人の鳥打帽子に関する説示の項においてなされていること並びに民一が持参し被告人が着替えた衣服の種類について具体的に記されていないことからも窺えるところであつて、原判決の判示には刑訴法三七八条四号所定の理由そごがあるものとは認められない。付言すると、右の点については、関係証拠によると、被告人は、茶色及び緑色の双方のジヤンパーとも所有しており、自宅を出るとき茶色のジヤンパーを着用し、緑色のそれを被告人車の中に用意し或いは下に重ね着することも、また、二六日夜から二七日早朝にかけて自宅に帰つてジヤンパーを取替えることも(このことは、原判決がその判断六項4に説示するように、被告人は二六日午後六時半ころから二七日早朝にかけて自宅に出入りできる状況にあり、とくに二七日午前五時半ころには自宅に立戻つていたことが認められることからも明らかである。)可能であり、民一の三月三日付員面調書によると民一が取手まで持参したという衣類の中には黒色の背広上衣は含まれているもののジヤンパーはなかつたことも前示判断にそうものというべきである。もともと理由そごをいう右所論の実質は、二七日午前一一時一六分ころ被告人の着用していたジヤンパーが緑色のものではないからそのポケツトの中に入つていた菅谷方電話番号をその裏面に書き写してあつた小菅の名刺を利用できず、従つて、菅谷方への架電が不可能であつたとして、被告人による右架電が可能であつたとする原判決に事実誤認があるとの主張に帰するものと解されるところ、右事実誤認の主張の認められないことは、後に控訴趣意第二(事実誤認等の主張)の所論(八)(2)について判断するとおりであり、よしんば二七日午前中被告人着用のジヤンパーが緑色のものでなかつたとしても、被告人が菅谷方電話番号を暗記していて架電可能であつたものと認められることは前記控訴趣意の所論に対する判断のとおりであるから、所論緑色ジヤンパー着用の事実の有無は原判決の結論に何ら影響を及ぼすほどのものとは認められず、所論は失当というほかない。

以上のとおりであるから、理由不備ないしそご等の論旨は、いずれも理由がない。

控訴趣意第一(審理不尽の主張)について

所論は、要するに、原審には次のような審理不尽がある。すなわち、

(一)原審には、捜査官のした以下述べるような違法な証拠隠匿を見落したり、これら隠匿の疑いのある証拠について弁護人のした証拠開示申立を却下し、或いはこれら証拠については職権によつても開示を命ずべきであつたのに、その措置をとらなかつた点において審理不尽がある。すなわち、(1)開示された録音テープは編集加工された疑いが強く、犯人の声を録音したテープが存在するはずであるのに、原審がこれらの解明を怠つたのは審理不尽であり、(2)(イ)捜査官は、監禁小屋付近で現場タイヤ痕三個のほかに被告人と犯罪との結びつきを断ち切る証拠となる七個余のタイヤ痕を採取しながら、これを隠匿し、(ロ)現場タイヤ痕のうち原判示〈3〉のタイヤ痕は、監禁小屋の東方の小貝川堤防への坂道の途中に印象されていて、被告人車が監禁小屋の西方手前で停止し後退したとの検察官主張の被告人車の進行経路と矛盾するから、被告人車とは結びつかないはずであるのに、原審がこれを証拠としたのは審理不尽であり、(3)司法警察員渡辺秀雄作成の実況見分調書及び安克博の原審証言によると、捜査官は、被害者宅洗い場・裏口付近、監禁小屋付近で足跡痕を採取したはずであり、また、犯人が車を乗り入れた被害者宅裏庭でタイヤ痕を採取したはずであるのに、こちらの隠匿を看過した原審には審理不尽があり、(4)捜査官は、被告人車から採取した泥を法廷に出せば被告人が監禁小屋へ行つたことが否定されることになるため、これを隠匿したのに、これを看過した原審には審理不尽があり、(5)(イ)被告人車から採取した指紋中から被告人の指紋が検出されていないのは不自然でこの点につき審理不尽があり、(ロ)監禁小屋内のプライヤー、同小屋の輪鍵から指紋が採取されたか否かの記録が提出されていない点で審理不尽があり、また、同小屋において指紋が採取されてプライヤーからは被害者の指紋が、輪鍵からは被告人の指紋が発見されなかつた疑いがあるのに、原審がこれを審理しなかつたのは審理不尽であり、(ハ)被害者が約八時間いた監禁小屋にはその毛髪が落ちていたはずであるのに、これが提出されず、また、同女の衣服に付着していた毛髪も提出されていないにかかわらず、その開示の申立が却下されたのは審理不尽であり、(6)二月二七日午前一一時一六分ころ犯人から菅谷朝一方へかかつてきた電話の逆探知結果が提出されれば、犯人の架電した電話の局番が明らかとなつて、被告人が架電したとされる事務所の局番とは異なることが判明するはずであるのに、右逆探知結果が隠匿されたまま放置されたのは審理不尽であり、

(二)(1)原判示監禁小屋は犯行に使われていない疑いが強く、このことは、(イ)被害者の捜査官に述べる同小屋からの脱出方法については、鋏で戸のところの紐を切つて逃げたとするものは明らかに誤りであり、鋏のようなもので戸のところの針金を押し上げて逃げたとする点については、同小屋の所有者鈴木伝男の供述によると、小屋の内部から何か差し入れても針金はとれないというのであつて被害者のいう方法では脱出できないこと、(ロ)犯人は被害者緊縛には犯跡を残さないため監禁した小屋内の紐を使うはずであるのに、右鈴木伝男の供述によると本件で使用された紐は監禁小屋内にあつたものではないことからすると、犯人が被害者を監禁した小屋は、本件監禁小屋でなく、他に存在する疑いが強いこと、(ハ)本件監禁小屋は被害者が当初捜査官に供述した小屋及びその付近の状況と違うこと、以上の諸点から窺えるのであり、(2)原判示身代金要求小屋(以下、「身代金小屋」という。)も、犯人が実際に指定した小屋でない疑いが強く、そのことは、(イ)菅谷冨士江及び吉田実の各員面調書によれば、犯人の指定した小屋は常磐高速道路よりも水海道寄りであつて、本件身代金小屋とはその位置が異ること、(ロ)本件身代金小屋は、国道から数十メートルしか離れていず国道及び事務所からよく見渡せる位置にあつて、他人に目撃されずに身代金を取得するのに著しい困難を伴うから、犯人にとつて不都合な位置にあること、(ハ)犯人から菅谷方への二回目の電話内容は、「車は来たようだが、持つてこなかつた」というのであり、犯人の指定した小屋は常磐高速道路より水海道寄りで、吉田実の自動車が常磐高速道路を超えて右指定小屋に近づきながら、ユーターンしてしまつたことと前記電話の内容とは整合していること、以上の諸点から明らかというべきであつて、監禁小屋についても、身代金小屋についても、その究明に審理不尽があり、

(三)原審では、被告人のアリバイに結びつく証拠の究明がなされていない。すなわち、(1)二月二七日午前一一時一六分ころ事務所から菅谷方への架電の点について、被告人のアリバイを立証する菊地文子の三月三〇日付、山田久夫の同月二日付各員面調書に関し、また、二月二六日午後七時ころから八時ころまでの被告人のアリバイについて、これを立証する鳴毛〓〓(以下、「鳴毛たか」という。)の当初の供述を補強する鳴毛京子の供述などに関してさらに審理が必要であつたのに、これをしなかつた原審には審理不尽があり、(2)事務所から菅谷方へなされたという架電とその逆探知結果については食い違う疑いがあるのに、原審が検察官の右逆探知結果隠匿を放置したのは審理不尽であり、

(四)監禁小屋付近から採取された現場タイヤ痕について再鑑定の必要があつたのに、原審がこれをしなかつたのは審理不尽であり、

(五)被害者の原審証言は客観的状況と食い違い、記憶喚起の法則にも反するのに、原審が同女の再尋問とその精神状態についての鑑定申請を却下したのは審理不尽であり、

(六)被告人の足長は、右足二二・三センチメートル、左足二二センチメートルであるのに、原判決が被告人が二四・五センチメートルの地下足袋を所有していた旨認定したのは審理不尽によるものであり、

(七)その他原審が弁護側の書証・物証等の証拠開示の申立及び証人・検証等の申請を却下したのは審理不尽である、

というのである。

しかしながら、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも合わせ検討しても、原審には所論のような審理不尽による訴訟手続の法令違反があるものとは認めることができない。以下、所論に即し、説明を付加する。

所論(一)(1)については、原判決がその判断八項3、4において詳細に説示するところは、関係証拠に照らし相手として是認することができる。犯人の声を録音したテープが存在するとは認められないとし、捜査官により録音テープに編集加工がなされた疑いがあるとした弁護人の主張を排斥した原判断は相当である。すなわち、押収にかかる録音テープは、吉田恵美子が同家一階で犯人から第三回目の電話を受けた際、恵美子の長男素康が同家二階の送受話器から録音したものであるが、その録音方法はカセツトレコーダーの内蔵コンデンサーマイクロホンを送受話器に二、三センチメートルまで近づけて録音したものであり、全くの素人が初めてセツトしたもので、捜査機関が録音するような方法はとつていないことが吉田素康の原審証言により明らかであり、かつ、吉田恵美子の原審証言によると、犯人の電話の声は低かつたというのであるから、犯人の声を録音できなかつたことに何ら不自然はない。所論は、安克博の原審証言に基づいて、犯人の声を録音した別のテープが存在するものとするが、単なる想像にすぎず、もともと同証言によると、安は、テープの途中の一部分を一回聞いたにすぎず、そのとき男と女の声があつたというにとどまり、その内容についても記憶がないというもので、その証言を全体としてみると男の声が入つていたかどうか記憶があいまいというのであり、その録音テープを再生してみると男と女が話している部分があつてその男の部分は犯人の声でないことが明白であるうえ、吉田恵美子も吉田素康も、原審で録音テープを再生して聞いたうえで、その内容が録音当時とは違つていない旨明言しており、しかも、録音後捜査官とともにこれを再生してみたところ犯人の声が入つていずがつかりしたというのであるから、録音テープが編集加工されたものとは認め難く、さらに捜査官・検察官による証拠隠匿があつたとも原審がこれを見落したとも認めることはできず、従つて、また、原審がその証拠開示申立を却下し職権で証拠開示の措置をとらず録音テープの編集加工の有無についての鑑定申請を却下したことは当然であり、もともと弁護人は原審の右措置に対し異議の申立さえしていないことが窺われ、以上の諸点からすると、原審に審理不尽の違法があつたものとは認められないから、所論は失当である。所論のうち(2)(イ)については、原判決がその判断の四項において説示するとおり、本件記録上三個の現場タイヤ痕のほかに捜査官が別のタイヤ痕を採取しこれを隠匿したと疑われるような資料はなく、所論は弁護人の想像の域を出ないものであり、もともとタイヤ痕について弁護人は原審において証拠開示の申立もしていないのであつて、原審に審理不尽があるとの所論は明らかに失当である。所論のうち(ロ)の点については、被告人が本件監禁小屋に赴いたのは一回だけにとどまらないものと認められ、このことは、たとえば、前示のように被告人が被害者を監禁小屋に連れ込む前予め同小屋に藁を敷いていたことからも窺われるのであり、所論監禁小屋東方の現場タイヤ痕〈3〉はこのような場合被告人車が通つた痕跡と推認でき、被告人が被害者を連れ込んだ際の走行経路と合わないタイヤ痕が発見されたとしても何ら不自然ではなく、所論は理由がない。所論のうち(3)については、原判決がその判断八項2において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、原審において検察官は足跡痕を採取していない旨釈明しているところ、安の原審証言中には足跡痕があつたかのように述べている部分もあるが、同人は足跡痕とタイヤ痕を勘違いしたかも知れないとも述べており、同人はその担当者ではなかつたこと、タイヤ痕採取の報告書の題名が足跡等採取報告書となつていること等から推して、所論のような足跡痕があつたとは認められず、原審が開示命令を発しなかつたことに対しても弁護人から何らの異議申立もなかつたのに、当審に至つて唐突にその主張をすることから考えても、審理不尽の所論は明らかに失当というべきである。さらに、被害者方裏庭で捜査官がタイヤ痕を採取したとの所論は単なる想像に基づくものであり、何らその存在を窺わせる形跡はないばかりか、検察官の釈明によれば被害者が犯人の車両に乗せられた地点を確認指示した二月二八日の時点では同所付近は地面が固くタイヤ痕の印象が認められなかつたというのであり、これを否定すべき事情は窺われないから、所論は失当というほかない。所論のうち(4)については、弁護人は原審で被告人車の泥の開示申立さえしていなかつたのに当審で突然この点に関する審理不尽を主張するに至つたものであるが、捜査官において被告人車の泥を隠匿したものと認むべき形跡は全くなく、監禁小屋から程遠くない場所に居住し、しかも、同小屋に近い小貝川堤防を走行する機会のあつたとされている被告人車から採取した泥と同小屋周辺の泥とを鑑定した場合、たとえこれが同一地質のものであつても、格別証拠価値があるものとは考えられないから、これを証拠調しなかつた原審の措置には何ら審理不尽はなく、所論は理由がない。所論のうち(5)については、原判決がその判断八項1において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、所論のうち(イ)の被告人車から採取された指紋についての審理不尽をいう点については、司法警察員薗部省一作成の三月二日付指紋採取報告書によると、指紋八個が採取され(司法警察員大沢秀穂作成の三月一〇日付検証調書では七個の指紋が採取された旨記載されているが、前記採取報告書に照らし、八個を正当と認める。)、これを被害者及び菊地民一の指紋と対照したが、もともと被告人の指紋とは対照していないのであるから、被告人の指紋が検出されないのは当然であつて、所論は全く失当というほかない。所論のうち(ロ)の監禁小屋内のプライヤー、同小屋の輪鍵から指紋が採取されたか否か並びにその結果についての審理不尽をいう所論については、検察官は、捜査官において右指紋検出作業をしたが対象物が古い金属性のものであつて印象条件が悪いため指紋を採取していないというのであり、これを否定すべき事情は窺われず、また、弁護人は原審においてこれらの指紋について何ら開示申立をせず、弁論においても主張していなかつたのに当審で唐突に審理不尽を主張するに至つたことをも考えると、所論は理由がないものといわざるをえない。所論のうち(ハ)の監禁小屋内の毛髪及び被害者衣服付着の毛髪の点については、原審で検察官は捜査過程において毛髪を捜索したが発見できず、いずれの毛髪も領置していない旨釈明しているところ、これらが領置されているとの証拠はなく、右各毛髪不提出をもつて審理不尽をいう所論は失当というほかない。所論のうち(6)については、原審でこの点に関する証拠開示の申立はなく、最終弁論でもこの点に触れた主張はなされていないが、検察官は当審で、菅谷方への所論架電に対する逆探知の結果についての証拠は存在しない旨釈明しているところ、これを疑わしめる証拠はなく、かえつて、いはらき新聞(二月二八日付)、当審において取調べた朝日新聞(三月一日付夕刊)、茨城電気通信部長作成の昭和五六年一一月六日付及び昭和五七年三月二五日付各捜査関係照会事項回答、水海道電報電話局長作成の昭和五七年五月一一日付捜査関係事項照会回答によると、その内容は右検察官の主張にそうものであることが窺われ、なお、弁護人はクロスバ方式による逆探知によれば必ず送話場所は判明すると主張するが、本件逆探知が右方式によつてなされたとの前提自体想像の域を出ないものであり、結局捜査官・検察官において右逆探知結果を隠匿している形跡はなく、右の点の審理不尽をいう所論は失当といわざるをえない。

所論(二)(1)のうち(イ)の被害者の捜査官に述べた小屋からの脱出方法については、まず、鋏で戸のところの紐を切つて逃げたとする二月二七日付員面調書での供述は、客観的状況に照らし所論のとおり明らかに誤りというべきであるが、被害直後の恐怖感の残存する著しい精神的動揺のもとに録取されたものであり、同女の性格特徴や平素からの表現力の乏しさなどをも考えると小屋からの脱出状況を正確に捜査官に供述して伝えなかつたこともやむをえないところというべく、三月二日詳しく尋ねられた結果被害者は鋏のようなものを使つて押し上げたところその針金がとれた旨供述を訂正し同日付員面調書のような内容となつたものであり、同女が本件監禁小屋から脱出したこと自体を疑うべき事情は認められない。次に、所論は鈴木伝男の員面調書と対比して被害者の前記三月二日付員面調書の内容の信憑性を論難するが、鈴木の供述は、同小屋の通常の締め方をした場合内部から何か差し込んでも針金はとれないとするにすぎず、本件の場合被害者の小屋脱出当時その施錠が実際にどのようになされていたか明らかでなく、被害者は現実にその述べる方法で監禁小屋を脱出できたものであるから、所論は失当というべきである。所論のうち(ロ)の点については、被害者を縛つた紐が原判示監禁小屋のものでないことから右小屋が真実被害者の監禁された小屋でないとする所論は、全く独自の前提に基づくものであり、予め他から用意した紐で被害者を縛ることに何ら不自然な点は認められないから、所論は失当である。所論のうち(ハ)の点については被害者の当初述べた小屋からの脱出方法がその後訂正されたことは前示のとおりであり、監禁小屋に藁の敷かれた状況も被害者の述べるところと符合しており、さらに、司法警察員直江忠敬作成の三月八日付実況見分調書添付現場見取図第二図によると、本件監禁小屋は陸田に囲まれていて、周りには道路又は畦道が走つており、周囲の状況は被害者の述べるところと異つているとは認められない。従つて、被害者が真実監禁された小屋は原判示監禁小屋ではないとする所論は理由がない。所論(二)(2)のうち(イ)の原判示身代金小屋もその位置が異つていて犯人指定のものとは違うとする点については、犯人が菅谷冨士江に対し身代金を持参すべく指定した小屋の特徴は、右富士江の原審証言によると、水海道方面へ向つて松村トーア土木会社の看板の立つている近くの小さいトタン葺の小屋というのであり、水海道寄りという意味が常磐高速道路の水海道寄りであると限定されているわけではなく、被害者宅を中心に考えれば本件身代金小屋は水海道寄りであることが明らかであり、もともと犯人からの指定は電話によるものであるところ、本件事案内容からして送話者たる犯人の極度の緊張・興奮、受話者の緊張・恐怖感が推認され、従つて送話者の表現及び受話者の聴取が必ずしも正確におこなわれたとは限らないこと、さらに聴取内容が菅谷冨士江から菅谷朝一、同人から吉田実へと順次伝えられるうちに内容に多少の差異が生ずることもありえなくはないこと、しかも、その中にあつても松村トーア土木会社看板の立つている近くのトタン屋根の小屋という点では全く一貫していることに徴すると、原判決の身代金小屋認定に誤りがあるとは認められない。所論のうち(ロ)の点については、原判示身代金小屋は、被告人方のすぐ裏手にあり、被告人にとつて容易に金員を入手しうるとともにその運搬に際しても多くの人に見られず短距離で容易に自己の支配下に納めうる位置関係にあり、同小屋から共同企業体事務所までは約一二八メートルしか離れていず、被告人としては右企業体が請負つている排水工事の下請現場監督の名目で同事務所又は付近工事現場から被害者側の身代金持参をよく見張ることができ、しかも、同小屋付近には被告人の自作・小作の農地が数か所存在するから、かりに身代金取得の段階で嫌疑を受けた場合でも、自己の耕作地ないしはその付近で金員を拾得したにすぎない等本件犯行と無関係である旨の弁解も可能であり、他方、身代金を持参する者においても比較的にわかり易い場所であることが認められ、従つて本件身代金小屋は身代金持参場所として指定するに好都合な場所ということができるのであつて、所論のように犯人にとつて不都合な位置にあるものということはできない。所論のうち(ハ)の点については、吉田実の員面調書及び同人の当審証言によると、同人は車で高速道路の先まで行つたが、そこには犯人の指定する松村トーア土木会社の看板の立つている場所がなかつたというのであつて、右看板の立つている近くのトタン葺の小屋という犯人の指定するような場所は本件身代金小屋の他に存在するものとは認められず、犯人から菅谷方への二回目の電話内容からみて犯人が身代金持参場所として指定した小屋が別にあるとの所論は、単なる想像に基づくもので、失当というほかない。前記電話内容の「車は来たが持つてこなかつた」との点は、被告人が同小屋を見張つていて身代金持参の自動車を見たが、何らかの理由によつて身代金持参の様子を見届けることができなかつたことから、右のような電話内容になつたものと推認できる。以上のとおりであるから、原判示身代金小屋は真実犯人が指定したものではなく他に犯人の指定した小屋があるとして審理不尽をいう所論は失当である。

所論(三)(1)の事務所から菅谷方への架電につき被告人のアリバイを立証する菊地文子、山田久夫の各員面調書に関して審理不尽をいう点については、右各調書は、原審弁護人の同意によつて取調ずみであり、右菊地及び山田は被告人が事務所に来たことに気付かなかつたというものか、自己が席を外していたというものかであつて、両名が被告人を目撃していないからといつて、被告人が事務所で架電する機会がなかつたものとはいえず、原判決がその判断六項7(二)において説示するとおり、殿田俊三の検察官に対する供述調書(以下、検察官に対する供述調書を「検面調書」という。)及び員面調書によると、殿田は、被告人が二月二七日午前一一時すぎころ事務所二階で電話をしているのを目撃したというのであり、これを疑うべき事情は認められないから、審理不尽をいう所論は失当である。また、所論が被告人のアリバイに関する鳴毛たかの当初の供述を補強するものであるとする鳴毛京子の供述については同人の員面調書及び検面調書がいずれも弁護人の同意のもとに取調べられていて、決して所論のように審理不尽があるとは認められず、その他被告人のアリバイに関し審理不尽があるとは記録上窺われないから、所論は失当というほかない。所論のうち(2)の事務所から菅谷方へなされたという架電と菅谷方への二回目の電話の逆探知結果についての食い違いに関する審理不尽の主張については、原審においてこの点に関する証拠開示の申立はなく、当審ではじめて右主張がなされるに至つたものであるが、所論(一)(6)に対し判断したとおり、検察官の釈明によれば逆探知の結果に関する資料は存在しないというのであり、捜査官において右結果を隠匿したと疑うべき証拠はないから、所論は理由のないものといわざるをえない。

所論(四)については、原審において、中田鑑定書が取調べられたほか、弁護人の鑑定請求が容れられて現場タイヤ痕について鑑定人石川巧による鑑定がおこなわれ、その結果原判決の判断四項に説示のとおりの事実が認められるに至つたものであり、再鑑定の必要があるものとは認められず、しかも、弁護人は原審で再鑑定の申請をした形跡もなく、弁論でもこれを主張しなかつた事情をも考えると、再鑑定をしなかつた原審に審理不尽があるとの所論は明らかに失当である。

所論(五)については、原審において被害者の捜査官に対する供述調書多数を取調べ、かつ、同女を証人として二回にわたり取調べたことが認められ、原判決がその判断二項において説示するとおり、被害者が人前で話をしたくない特殊な性格の持主であるのに、原審は慎重な取調を重ねたもので、被害者の原審証言は、大筋において客観的状況と食い違つているものとは認められず、不自然ということはできないから、再尋問の必要性は認められず、しかも、その却下決定に対し原審弁護人は異議の申立さえしていず、その弁論においてもこの点にふれた主張はなく、また、原審が被害者についての精神鑑定の申請を却下した点も、被害者の本件被害を受けた日時・場所、被害者の性別・年令・性格・記憶力・表現力、取調を受けた時期及び情況等からみてその証言が信用できるものとし、精神鑑定の必要を認めなかつたものと考えられ、原審の右措置は是認でき、弁護人が鑑定申請却下決定に対しても異議の申立をしていないことをも考慮すると、右各点において原審に審理不尽があつたものとする所論はいずれも失当というほかない。

所論(六)については、被告人の地下足袋に関する菊地民一の三月一七日付員面調書の内容は、弁護人において証拠とすることに同意しており、民一は被告人の長男であり、あえて被告人に不利益な虚偽の供述をする事情があつたものとは認め難く、右員面調書の地下足袋に関する供述は十分信用できるものと考えられ、また、もともと被告人の足長より小さい地下足袋ならともかく、本件地下足袋は所論被告人の足長より少し大きいたけのものであるから、これをもつて、被告人の所有でないということはできず、従つて、地下足袋の点に関し、原審に審理不尽があるとする所論は失当である。

所論(七)の証拠開示申立、書証及び証人調請求、検証申請等に対する原審の各却下決定をもつて審理不尽をいう点については、記録を精査しても、原審が右各却下決定をしたことに審理不尽の違法があるものとは認めることができない。すなわち、証拠開示をなすべき証拠物及び証拠書類として弁護人の挙げる(1)被害者の衣服に付着していた毛髪、同人が監禁された小屋に落ちていた毛髪、(2)被告人の三月四日付員面調書(谷田部警察署におけるもの)、(3)被告人の三月一九日付員面調書、(4)地下足袋の足跡痕、(5)被害者が着用していた衣服、以上については、原審検察官は、いずれもこれらを領置又は作成していない旨意見を述べているところ、これを疑うべき事情は見出せず、とくに右(1)に対してはさきに所論(一)(5)(ハ)の項で、また、右(4)に対してはさきに所論(一)(3)の項でそれぞれ判断したとおりであり、その他所論の証人及び検証の各申請も、その必要性があるものとは認められないから、これらを却下した原審の措置は当然であり、何ら審理不尽はなく、所論は失当である。

以上のとおりであるから、審理不尽をいう論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第三(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、原審の訴訟手続には次のとおり判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるから、原判決は破棄さるべきである。すなわち、

(一)原審は、被告人の捜査段階における自白の任意性及び信用性について判断を誤つた結果、証拠として採用すべきでない被告人の三月一八日付員面調書(一二枚綴り。以下、「自白調書」という。)を採用したものである。すなわち、右自白調書に任意性が全くないことは次のような取調状況から明らかである。被告人は、当時胃潰瘍・十二指腸潰瘍による苦痛のなかで逮捕以来連日早朝から深更まで長時間捜査官による取調を受忍せねばならなかつたほか、間食購入禁止等他の同房者に比し不平等な取扱いを受け、当初取調を担当した安捜査官は、被告人に対し、録音テープ・足跡痕・毛髪の物証を突きつけ、被告人の犯行は明らかであるとして責めたて、大声でどなり、被告人の胸ぐら・髪を掴んでゆするなどして自白を強要し、次いで取調を担当した井坂捜査官は、被告人に対し、自白しなければ、ばくち・どろぼう・車検切れの車を乗り廻したかどで再逮捕するなどと威嚇したあげく、最後に取調に加わつた坂入捜査官は、被告人に対し、本件の概要を言うから意見を聞かせてくれと申し向け、坂入自身の知識や認識するところをそのまま井坂に書取らせることによつて形ばかりの自白調書を作成し、被告人は「犯人はそうしたと思う」旨意見を述べたところ、右調書の署名を求められ、これを拒むと、被告人において咳をすると血啖が出る程の最悪の健康状態下で、極度の疲労のなかを捜査官らにより自殺防止名下に一睡もさせられないまま翌一八日医師の診察を求めたのに、その前に前日の調書に署名押印をするよう迫られ、自己の生命を守るため弁護人とすぐに面接させてもらうことを条件にやむなく署名指印するに至つたもので、右調書は要するに捜査官による不当な強制、誘導、若しくは拷問の末漸く作成されたもので一片の任意性すら認められないものであり、被告人に対する捜査官の取調状況についての原判決の説示は誤りであつて、右自白調書を証拠として採用した原審の訴訟手続は誤りであり、

(二)原審訴訟手続には、次のような違法捜査を看過した結果憲法三一条、刑訴法一条の各違反がある。すなわち、(1)(イ)開示された録音テープは編集加工された疑いが強く、犯人の声を録音したテープが存在するはずであるのに、捜査官はこれを隠匿し、(ロ)捜査官は、監禁小屋付近で現場タイヤ痕三個以外に被告人の犯行でないことを証明する七個余のタイヤ痕を採取しながら、これを隠匿し、(ハ)捜査官は、被害者宅裏口付近等、監禁小屋付近で採取した足跡痕を隠匿し、(ニ)捜査官は、被告人車から採取した泥を隠匿し、(ホ)捜査官は、監禁小屋から採取した被害者の毛髪及び同女の衣服についても毛髪を提出せず、(ヘ)捜査官は、犯人の菅谷方への二回目の電話の逆探知結果を隠匿しているのに、原審はこれら捜査の違法を看過した訴訟手続の違法があり、(2)留置人出入簿については、被告人関係部分の謄本が提出され、他の留置人関係部分が隠され、また、内容の順序が逆になつているなど改ざん工作がされた疑いがあるのに、原審はこれを証拠として採用した訴訟手続の法令違反があり、(3)捜査官によつて被告人車への改ざん工作がおこなわれ、また、司法警察員郡司典男作成の三月五日付捜査報告書に三月一〇日付検証調書の内容が引用されていて、ある目的のため捜査書類の日付を遡らせる工作がおこなわれているのに、原審はこれらを証拠として採用した訴訟手続の法令違反があり、(4)民一の三月一七日付員面調書では二四・五センチメートルの地下足袋が被告人のもの、二五・五センチメートルの地下足袋が民一のものとされているが、実際は二四・五センチメートルのものは民一所有、二五・五センチメートルのものは高橋はつい所有のものであるから、地下足袋についてとり違えがあるのに、原判決はこれを看過し、右内容の誤つた員面調書を証拠として採用して、被告人が前記地下足袋を所有している旨認定した手続上の法令違反があり、

(三)原審は、証人が被告人にとつて有利な証言をすると、これに不当に介入して証言と異なるまとめをするなど予断による訴訟指揮をおこなつた訴訟手続の法令違反がある、

というのである。

しかしながら、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を合わせ検討しても、原審の訴訟手続には所論のような憲法三一条、刑訴法一条各違反をはじめ、訴訟手続の法令違反があるものとは認めることができない。以下、所論に即し、説明を付加する。

所論(一)については、原判決がその判断七項において被告人の自白調書の任意性・信用性の点について詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができる。もともと、原審弁護人はその第一〇回公判において被告人の捜査官に対する各供述調書一切について何らその任意性を争うこともなく証拠とすることに同意したものであり(もつとも、原審において、弁護人は検察官の論告終了後右自白調書は錯誤に基づき同意したものであるから撤回する旨主張したが、右錯誤を認めなかつた原判決の判断七項4の説示は十分肯認できる。)、坂入弘、安克博の原審各証言、植竹光一作成の診断書、留置人出入簿謄本等関係証拠を合わせ検討すると、所論のような取調官による強制、暴行、脅迫、拷問、任意性を失わせるような長時間の取調、被告人に対する睡眠妨害、不当な誘導があつたものとは認められず、また、被告人の健康状態も取調に耐えられないほどのものではなく、自供の際の被告人の態度、自供調書の形式・記載内容、捜査官より調書の内容を読み聞かせられて訂正の申入れをしていること、内容の一部(例えば鳴毛たかとの密会)については従来の主張に近い供述が維持されていること、被告人は本件で逮捕される前から弁護人と接触をはかろうとし、刑事裁判を受けた経験もあり、重要な供述を求められると弁護人との接見を求めるなど権利意識は極めて強いのに、自白調書に署名指印をしていること等を合わせ考えれば、同調書の任意性は十分に認めることができ、また、原判示事実にそう限度でその信用性も肯認できるから、右調書の任意性及び信用性を認めたうえこれを証拠に採用した原審の訴訟手続には何ら法令違反は認められず、所論は失当というべきである。

所論(二)のうち(1)の各点については、原判決がその判断の八項において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認でき、また、さきに、控訴趣意第一の所論(一)に対する判断の項において説示したとおりであつて、開示された録音テープが編集加工されたものとも犯人の声を録音したテープが存在するものとも認められないし、捜査官・検察官が録音テープ、足跡痕、被告人車の泥、監禁小屋内及び被害者衣服付着の各毛髪、菅谷方への電話逆探知結果を隠匿したことも、原審がこれを看過したことも認められないから、所論は失当である。所論のうち(2)については、留置人出入簿の被告人以外の留置人関係分についてまで明らかにすることは、その名誉を侵害するものであつて相当でないだけでなく、その必要性もなく、また記載の順序が逆になつているからといつて特段の事情のない本件で公文書たる留置人出入簿の改ざんがおこなわれているものとは認められないから、所論は失当というほかない。所論のうち(3)については、弁護人は原審において所論の捜査報告書の一部及び検証調書全部につき異議をとどめることなく同意してその信用性を争わなかつたのに、当審で唐突に所論のような主張をするに至つたものであるだけでなく、右捜査報告書は前記検証調書全体を引用しているものではなく、検証の目的物たる軽四輪貨物自動車特定のためだけに引用したにすぎず、司法警察員郡司典男外一名が三月四日、五日に右自動車の検証を実施したことは動かしがたい事実と認められ、たまたまその検証調書の作成が遅れたため三月五日付捜査報告書に三月一〇日付検証調書が引用される形となつたものと推認され、また、被告人車について被告人側による証拠隠滅があるかのように捜査官が証拠を工作した事実は認められないから、違法な捜査を看過したものとして原審の訴訟手続に法令違反があるとの所論は失当である。所論のうち(4)については、原審で弁護人は民一の所論員面調書を証拠とすることに同意していて、その任意性及び信用性について何ら争つておらず、もともと被告人の長男民一が被告人に不利益になることを知りながらあえて虚偽のことを述べるものとは考えられず、取り違えがあるとも認められないからこれを信用できるものとして証拠に採用した原審の訴訟手続に法令違反はない。

所論(三)については、記録を調査しても、原審において所論のような違法な訴訟指揮がおこなわれたものとは認められないし、原審弁護人がこれに対し異議を述べた跡も全く窺われないのであるから、所論は全く失当というほかない。

以上のとおりであつて、原審の訴訟手続には所論のような法令違反はないから、論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第二(控訴趣意書補充書による補充の主張を含む)(事実誤認等の主張)について

所論は、要するに、

(一)原審には、監禁小屋付近から採取したタイヤ痕についての審理不尽があり、その結果原判決にはそのタイヤ痕についての評価及び他の事実との総合判断において事実誤認がある。すなわち、(1)捜査官は前記採取にかかるタイヤ痕を隠匿したものであるところ、(イ)原審はこれを看過して取調べなかつた点で審理不尽があり、タイヤ痕が隠匿されていることは次の点から窺われる。すなわち、(a)司法警察員直江忠敬作成の三月八日付実況見分調書添付の写真第三三のタイヤ痕が符号〈2〉の石こうと一致することからすると、写真第三三のタイヤ痕が写真第三四の写真中の符号〈2〉と一致することは本来ありえないはずであり、従つて、写真第三三には本来写真第三四の石こう採取個所より西方(土手から遠ざかる地点)で撮影した別の写真が貼られるべきであるのに、捜査官は、これをことさらにすりかえ、符号〈2〉のタイヤ痕の写真に貼りかえたことになり、また、写真第三三に貼られるべきタイヤ痕については、写真だけでなく、石こうを採取するのが当然であるから、石こうを採取しながらこれを隠匿している疑いを抱かせるに十分であり、(b)写真第三四のすりかえとタイヤ痕の隠匿のあることは、写真第三四中の〈2〉で指示された石こうは小さすぎて不自然であるから、符号〈1〉と〈2〉の石こうの採取状況を撮影したものではなく、他の地点での採取状況を撮影したものであり、この二つの石こうが隠匿されていることになり、かりに、写真第三四の二つの石こうのうちいずれかが石こうの符号〈1〉、〈2〉であり、他の一方がこれと同じくらいの大きさの符号〈1〉、〈2〉とは別の石こうだとすると、写真第三四の二つの石こうの東側か西側にもう一つのタイヤ痕の採取場所が存在していることになり、その石こうが隠匿されていることになる。(ロ)原審で取調べられたタイヤ痕に関する二つの鑑定書は計測検査と照合検査において極めて非科学的であつて、被告人とタイヤ痕とを結びつける再鑑定が必要なのに、前記のような鑑定書を有罪認定の資料としたことに審理不尽の違法があり、なお、中田鑑定はパターン周期の計測値について、「その範囲において有意の差は認められなかつた」としているが、統計学的処理によると、大いに有意の差があるのであつて、原判決には採証上の誤りがあり、(2)現場タイヤ痕の鑑定に基づく認定について、(イ)中田鑑定には信用性がないのに、これをタイヤ痕の同一性の認定資料とした原判決には事実誤認があり、(ロ)石川鑑定の計測検査結果は、タイヤ痕が被告人車のタイヤによるものでないことを示しており、これを測定誤差であるかのようにいう石川証言は信用性がないのに、これを採用して測定誤差とした原判決には事実誤認があり、(ハ)石川鑑定が、「両者(被告人車のタイヤと採取した現場タイヤ痕)のタイヤ模様に類似点が多く見られる」としたことはタイヤ痕の同一性を推認させるものではなく、同鑑定はタイヤ痕が同一でないという否定的結論を示しているのに、原判決は、あたかも同鑑定が否定・肯定のどちらともいえないとしているものとし、さらには、これを肯定すなわち同一であるかのように認定し、有罪推定の重要な間接事実とした誤認があり、(ニ)原判決は各鑑定結果を総合して、現場タイヤ痕を被告人車のタイヤ痕と断定できないものの、これと異るものとする明確な特徴点も見出すことができないだけでなく、現場タイヤ痕は被告人車と同じブリヂストン製五、〇〇―一〇マイテイ・リブタイヤのタイヤ痕であり、しかもこれらの間に部分的ながら類似性の認められる特徴点もある旨判断したが、同じ種類のタイヤの年間生産本数が約二〇〇万本あることなどに照らすと、右判断には論理のすりかえともいうべき事実誤認があり、(3)他の事実の認定の誤りと鑑定との総合判断の誤りがある。すなわち、(イ)現場には種々のタイヤ痕が存在していたのに、何故採取した現場タイヤ痕のみが「犯行のころに」印象されたと推認しえたかについて疑問があり、右認定は証拠による推認の範囲を越えており、(ロ)タイヤ痕採取経過を明らかにした実況見分調書によると、原判示符号〈3〉のタイヤ痕の採取位置は同調書に描かれた犯人の車の走行経路と矛盾し、鑑定された符号〈1〉、〈2〉のタイヤ痕も真に犯人の車によるものか疑問が残るのに、原判決には、他に犯行現場を走行した車が確認されていないという確実さに欠ける認定と現場タイヤ痕が被告人車タイヤと同一であるかのごとき確実さに欠ける認定とを総合して現場タイヤ痕を被告人車のタイヤ痕と認定した事実誤認があり、

(二)被告人の自白調書には任意性も信用性もなく証拠となしえないのに、これに証拠能力を認め、信用性の判断を誤つて信用できるものと認めて証拠として採用した原審の訴訟手続には自由心証主義の限界を逸脱した法令違反があり、その結果、原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を招いている。すなわち、(1)原判決の自白調書についての信用性判断には誤りがある。すなわち、前示のとおりその信用性が極めて疑わしいのに、原判決は、被告人の取調を担当した坂入弘の原審証言を他の証拠と対比してその信用性を吟味することなく一方的に信用し、自白調書中の客観的証拠との矛盾をすべて被告人の動揺、犯行の概略的供述のゆえとし、自白に具体性があるとしてその信用性を肯定したのは証拠法則に反し、このように、原審が自白自体の内容及び取調過程を無視して自白調書を採用したのは訴訟手続の法令違反及び事実誤認があるというべきであり、(2)被害者を監禁した小屋の前の原判示〈1〉、〈2〉のタイヤ痕は被告人車によるものとは異なるし、原判示〈3〉のタイヤ痕と被告人車の走行経路に関する供述とは一致しないなど、右自白は、その核心部分において唯一ともいうべき物的証拠と合致しないから信用性がなく、(3)自白調書中には、被告人が二月二六日夜鳴毛たかと約一時間話をしていたこと及び被告人が二七日午前中工事現場で立会いしていたという本件犯行の自白とは相矛盾するアリバイ主張が含まれていて自白に値せず、(4)原判決は「信用性の程度」と題し、右自白の内容に具体性があるとして種々の点を挙げるけれども、その供述内容自体極めて外形的内容に終始し、しかも、次に述べる犯行の重要な部分を欠落していて供述の具体性に欠けるとともに、犯人でなければ知りえないいわゆる秘密の暴露がないから、その供述には信用性に疑いがある。すなわち、銃の取扱い、監禁小屋で被害者の両手を縛つた紐、縛つた時期及び方法、同小屋に敷かれた藁、被害者宅への架電の回数及びその時刻、菅谷宅への架電の理由、同宅への第二回目の架電、右各架電の送話場所等脅迫電話についての重要事実、被害者が二月二六日午後七時ころ同家東側洗い場に現われたのは偶然か否か、もし偶然でないとすると、被告人がこれを知るに至つた経緯、被害者をその自宅から連れ出し車で走行した経路及びその周辺の状況、被害者の反応及び応待の模様等犯行に関する重要部分が欠落していて供述の不自然さがあり、(5)自白調書の内容は、犯行の重要部分に関し客観的事実ないし状況と符合しない虚偽がある。すなわち、(イ)被告人から被害者宅への電話内容に関する供述は、他の証拠と対比すると全く食い違つており、(ロ)菅谷宅への電話の受話者については、自白調書では女の人とされているが、実際は菅谷朝一も電話に出ており、(ハ)被害者を連れ出す際の言動について、自白調書では被告人が被害者を知つていることを前提とし、「組合の者だ」と発言したことになつているが、被害者の原審証言では、「組合長のおつかさんですね」と声をかけられたとされ、犯人が被害者と面識のないことを前提としており、また、自白調書によると、被告人は組合の者だと言い用事があるよう詐つて被害者を連れ出したことになつているが、被害者の原審証言によると、同女は犯人が鉄砲をもつていたため恐しくて連れ出されたというのであり、以上の諸点において自白調書の内容は虚偽であり、

(三)(1)被害者の捜査官に対する供述調書は信用性に疑問があり、とくに捜査官に対する当初の供述調書は重要な点で客観的事実と相違し、その後の供述調書は捜査官の誘導によつて録取されたのに、原判決は、これらの点を看過した結果、犯人と被告人の同一性につき誤認をしている。すなわち、(イ)被害者の員面調書では、犯人像を年令三〇歳くらい、身長一・七メートルとしているのに、検面調書では、年令は四〇ないし五〇歳くらい、身長は息子吉田実(身長一・六メートル)よりちいと大きい旨変化させており、当初の供述と後の供述との間に決定的矛盾があつて信用できず、(ロ)被害者の二月二七日付員面調書と三月二日付員面調書とでは、紐を自力でほどいたか否か及び監禁小屋の戸をどのような方法で開けたかの二点で決定的な違いがあつて信用できず、客観的にみても、鈴木伝男の三月二日付員面調書によると、被害者の三月二日付員面調書で供述する方法では脱出できず、紐を自力でほどいたという被害者の二月二七日付員面調書の内容は、その紐をほどいた羽生孝の員面調書に照らし明らかに客観的事実に反し、被害者の供述の変遷は、捜査官が、その把握した客観的事実に符合させるよう被害者の供述を誘導した結果であり、(2)犯人像に関する被害者の原審証言は信用できないのに、安易にこれを採用した原判決には事実誤認がある。すなわち、被害者の原審第三回公判での証言中冒頭部分は、証人としてのテストを経ていること、その尋問方法、証人能力からすると当然答えうる程度のものであるが、その後の証言は、証人自身の口から具体的内容が供述されていないこと、前後の支離滅裂、反対尋問により弾劾されたこと等から明らかなように証明力のないものであつて、被害者が被害当時の記憶から正確に犯人像を抽出したものとみることはできず、(3)被害者が面通し等によつて被告人を犯人と特定したことを最重要証拠とする原判決には事実誤認がある。すなわち、捜査官は、被害者が被告人の写真を見せられて犯人ではないと述べた(三月三日付いはらき新聞)ことから、逮捕直後には被告人に面通しさせず、逮捕の一週間後に漸く被害者による面通しをおこない、しかも、その際被害者は被告人を犯人と特定していず、原審証言でも被告人を犯人と特定したということはできないのであり、被害者は捜査段階では犯人を全く見知らぬ人と供述し、他方、原審証言では被告人がかねて被害者方に来ていた人である旨繰返し認めているから、犯人と被告人とは全く別人というべきであり、(4)被害者の原審証言内容及び証言態度、記憶力、面通しの際の録音テープ等なまの証拠、同女の精神科病歴、同女の犯人の特徴についての供述の変遷、被害者の供述が監禁小屋の客観的状況と符合しないことに徴し、同女の供述には信用性に疑問があるのに、(イ)原判決は、被害者の犯人像についての供述の変遷を、被害直後の疲労・興奮状態から日時を経て落付きを取戻し徐々に犯人の特徴が明確になつたものとするが、右判断は科学的に明らかな記憶心理の法則に反し、(ロ)原判決は、被害者の原審証言を、加害者たる被告人の面前で同じことを執拗に尋問されたため、黙つたり、適当な相槌を打つて前後矛盾する結果となつたりしたもので、捜査段階での供述並びに原審公判での当初の証言部分こそ信用できるものとするが、右判断は、採証法則に反し、かつ、原判決は、弁護側が敵性証人たる被害者に対し同じことにつき詳細・執拗な尋問をしたことを非難して弁護側への偏見を明らかにしており、かように到底信用できない被害者の供述を証拠に採用してなした原判決の事実認定には誤りがあり、

(四)犯人の身代金要求の電話の声と被告人の声について、(1)原判決は、吉田恵美子、菅谷朝一、菅谷冨士江がそれぞれ電話で聞いた犯人の声と被告人の声の特徴が同じであると感じ、両者が大変似ているとの印象をもつたことと右三名の供述を総合して、身代金を要求した「犯人の声は被告人の声と断定できないものの、極めて類似しているもの」と認定し、これに、被告人が被害者を誘拐したとの認定をしたうえで、それと時間的・内容的に符合する電話がかかつている事実を合わせて本件の身代金要求電話の主を被告人であると断定したのは、吉田恵美子ら三名の聴覚印象を比較検討する手法において重大な誤りを犯し、三名の供述の評価を誤つた結果、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を犯したものである。すなわち、(イ)吉田恵美子の聴覚印象は、「年が六〇歳くらいの年とつた人の声で、尻上りという茨城なまりはない」というのであり、菅谷朝一、菅谷冨士江の聴覚印象とは根本的に異つており、吉田恵美子は本件の数年前から被告人と応待し言葉を交わしており、他方、犯人の声を三回聞いているから、もし電話の声が被告人の声であれば、その時点で被告人の声と断定し、或いはよく似ていると述べるはずであるのに、これをしなかつたのは、犯人の声から被告人を全然連想しなかつたことを示し、吉田恵美子が被告人の声を聞いた三月一三日は、すでに被告人逮捕後で、被告人が犯人であるとの予断をもつていたため、電話を聞いた時点での印象が変容していたものであるから、吉田恵美子の供述をもつて、被告人と電話の声の主を結びつけることはできず、(ロ)菅谷冨士江の聴覚印象は、犯人の言葉の最後が尻上りしており、声があまり年いつてない若い声である点が似ているというのであつて、何ら被告人と犯人の声を結びつける根拠とはなしえず、冨士江が被告人の声を聞いたのは被告人の逮捕後日を経ていて、その年令が四〇歳くらいに聞こえたとするなど予断に基づき被告人からの印象に合わせようとし、もともと冨士江の聴覚印象はわずか五分間くらいの電話の声に基づくものであるから、これを被告人との同一性の認定に用いること自体疑問であり、(ハ)菅谷朝一の聴覚印象は、同人は耳が遠くその聴覚印象が正確とはいえず、その当初の印象では被告人とはかけはなれていたのに、被告人が犯人の用いたと同様の白い車及び鉄砲をもつていたという声以外の要因で被告人を犯人と疑い、当初の印象が変化したものであるから、犯人と被告人の同一性の認定資料には供しえないのである。

以上のとおり、原判決は、三名の聴覚印象がともに電話の声と被告人の声は似ているとしたことを根拠に、両者を極めて以ていると認定したが、右三名の印象は重要な点で差異があり、同人らの印象を比較すると、犯人の声は同一ではないというべきであり、かりに三名の聞いた電話の声が同一人によるものとすると、その場合でも三名の聴覚印象が重要な点で違うということは聴覚印象によつて声の同一性を認定する方法の危険であることを示すのに、右三名の聴覚印象を証拠としてその電話の声を被告人によるものと認定した原判決には明白な事実誤認があり、(2)被告人が本件一連の事犯の犯人ではないと争つていて犯人の認定自体が争点となり、電話の声もそのための重要な間接事実の一つとして争点とされているのに、原判決は前記三名の聴覚印象により犯人の声と被告人の声とが極めて類似しているとしたうえ、被害者を誘拐したのが被告人であるという認定をも勘案して電話の主を被告人と断定しているが、原判決は、聴覚印象も被告人が犯人か否かを判断する間接事実の一つと見ようとするのであるから、被告人が犯人であることをもつて犯人の声と被告人の声との同一性の根拠とはなしえないはずであり、原判決は誤った論理によつて事実誤認を犯しており、

(五)被告人は二月二六日夜七時一〇分ころから八時一〇分ころまで鳴毛たかと会つていて原判示各事実につきアリバイがあるのに、信用性のない「たか」の原審証言によつて右アリバイを否定した原判決には明らかな事実誤認がある。原判決は右の点に関する「たか」の供述の変遷を被告人の「たか」に対するアリバイ工作に起因するものとするが、「たか」と二月二六日夜密会した旨の被告人の原審供述等にそう鳴毛京子の三月六日付員面調書、三月二九日付検面調書、鈴木秀雄の三月九日付、三月一八日付各員面調書、二月二六日夜の密会を認めた「たか」の当初の捜査官に対する供述調書こそ信憑性があり、他方、同夜八時ころ「たか」が同女方前の道路傍に立つているのを見たとする鈴木秀雄の三月一九日付員面調書、被告人との密会を否定するに至つた「たか」の捜査官に対するその後の供述調書、同女の原審証言はいずれも信用できず、とくに、「たか」は被告人との関係を追及されプライベートな弱みを隠してもらうためさきの供述を覆したものであり、「たか」の二六日夜の外出時間についての京子と「たか」の供述の食い違い、飯島正一と「たか」の供述の食い違い、「たか」の供述内容自体の矛盾に徴すると、被告人との二六日夜の密会を否定した「たか」の供述の信用できないことは明らかであるにかかわらず、原審がこれに依拠したことには採証上の違法があり、その結果原判決は事実誤認に至つたものである。なお、「たか」の供述内容自体の矛盾は、(イ)「たか」は前日被告人と会う約束をした土手と全く反対側でしかもその土手の極めて見えにくい場所で待っていたとする点、(ロ)人目を避けて被告人と会おうとしていた「たか」の待つていた場所は当夜公民館での常会に参集する人の目につき易かつたこと、(ハ)「たか」は被告人を待つ間に一度家に立戻つており、その間に被告人車が土手に来ている可能性があつたのに、それを確めることなく約一時間もそのまま待つていたとする点の不自然さの中に看取される。

(六)被告人の二月二七日午前中の行動は本件犯行と結びつかず、かえつて、その無実を証明するものとなつているのに、右日時における被告人の行動をもつてその有罪認定の間接事実とした原判決には明らかな事実誤認がある。すなわち、(1)原判決がその判断六項6で、「被告人は二月二七日午前一〇時半前後ころ必要もないのに排水工事現場に現われ、身代金要求小屋を見張れる位置にいた事実」について説示するところには次のような事実誤認がある。(イ)原判決は、被告人が右日時右場所に現われて工事の手直しを求めたことを身代金小屋を見張るための偽装・口実にすぎないとするが、被告人は真実必要があつて右工事の手直しを求めたものであるから、原判決の右認定は誤りであり、(ロ)原判決は、被告人が本件身代金小屋を見張つていたとするが、もともと同小屋は犯人が身代金持参を指定した小屋であるのか疑問があるうえ、被告人は同小屋を見張つていた事実はないから、原判決の右認定は誤りである。すなわち、吉田実は二七日午前一〇時四〇分ころ車に乗つて現われ共同企業体事務所前の国道上に車を停め、歩いて身代金小屋北側に身代金を置いていつたが、犯人から菅谷方へかかつた午前一一時一六分ころの電話内容からすると、犯人は身代金を持参する車の来たことを見ていることが窺えるところ、午前一〇時半ころから一〇時四〇分ころまでの被告人の行動を検討すると、(a)被告人と山田久夫が川上主任に会うため事務所に赴き同所にいた場合を想定した場合、原判決は事務所二階から身代金小屋がよく見通せたと認定するが、同所からは同小屋がやつと見える程度であり、吉田が実際に車を停めた位置は事務所の塀に隠れて見えず、(b)被告人と山田とが事務所から排水工事現場まで水田の中の道を歩いて帰つた場合を想定しても、水田は国道より一・六メートル低くて身代金小屋は見えず、しかも被告人は同小屋に背を向けて歩くことになるから、これを見張る行為はありえず、(c)被告人が排水工事現場にいたとしても、同所も国道より一・六メートル低いから中腰より下の体勢では同小屋を見ることはできず、また、小屋の北側から身代金を持参した場合その確認は無理であり、さらに、工事現場には人夫が働いていたから被告人ひとりが立つて同小屋付近を注視することは極めて不自然な行為となり、(d)被告人と民一が被告人車の中で話をしていた場合を想定しても、その際車は国道と反対方向を向いていて身代金小屋は運転席にいた被告人からは斜めうしろ方向となり、上棟式に出ない旨の深刻な話をしていた被告人が斜めうしろの小屋を注視することは不可能であり、(e)被告人車スズキキヤリイは国道二九四号線上を三往復しているが、最初は青木、二度目は山田、最後は被告人の運転によるものであつて、被告人の運転は一度にすぎず、しかも、事務所へ向つたのは青木に促されてであり、見張りのためではないのに、原判決が、被告人車が三ないし四往復し、うち少なくとも被告人が二往復し、それが身代金小屋見張りのためであつたとするのは誤りであり、被告人が事務所へ車を走行させたのは午前一一時をすぎていたから、吉田実の身代金持参を見ていたとは考えられず、以上のように被告人はことさらに身代金小屋を注視したことはないのに、被告人の同小屋に対する見張りを認定した原判決には誤認があり、(2)二月二七日午前一一時一六分ころ被告人は事務所から菅谷方へ電話をかけていない確たる証拠があるのに、右架電を認定した原判決には事実誤認がある。すなわち、(イ)警察は菅谷方への電話の逆探知をしており、二月二八日付いはらき新聞によると、二七日の犯人から菅谷方への電話が水海道局からかかつた旨報道されているから、犯人からの菅谷方への二回目の電話は事務所からではなく、水海道からかかつたものとみられ、(ロ)菊地文子の員面調書によると、同女は二七日午前中事務所で被告人を全く見かけていず、同女は同日午前中には一〇時三〇分か一一時ころ一回だけ電話の伝言のため数分間事務所の席を外しただけであり、それは一一時一六分ころではないから、その時刻に被告人が事務所で架電していないことが明らかであり、(ハ)殿田俊三の捜査官に対する各供述調書、同人の原審証言(以上を合わせて、以下「殿田供述」という。)によると、被告人は、二月二七日午前中事務所内で川上の机上の電話を殿田に無断で使い、同人に背を向けたまま一方的に用件を言つてすぐ切つてしまつたが、その通話内容はわからず、そのとき事務所には被告人と殿田の二人しかいなかつたというのであるが、右供述内容は次の諸点に照らし信用できない。すなわち、殿田の供述のように右架電の際被告人と殿田の距離が約三・三メートルであれば、通話内容がわからぬはずはなく、他方、被告人が他人に聴かれる危険を犯してまでこの種電話をかけるというのは不自然であり、また、同日事務所で殿田と被告人の二人だけになる機会はなく、さらに、殿田供述では、被告人が山田久夫に対し事務所で工事の手直しの話をしたというのであるが、山田は被告人から現場でその指摘を受けたと言つていて、殿田の記憶はあいまいである。このように殿田供述は信用できないのに、原判決はこれを信用できるものとした誤認があり、少なくとも、菊地文子の事務所離席の時間、出納主任佐藤光三の事務室離席の有無を確認しなかつた原審には審理不尽の違法があり、(ニ)被告人は二月二七日午前一一時ころから一一時三〇分ころまで約三〇分以上にわたり民一と前夜帰宅しなかつた理由のほか今後の二人の生き方にまで及ぶかなりこみ入つた話をしていたから、一一時一六分ころ事務所から菅谷方へ架電することは不可能であり、このことは被告人の検面調書、原審供述で明らかであるのに、原判決は二人の話の長さ、その終了時刻について杜撰な認定をしており、(ホ)民一の当審証言、被告人の当審供述に明らかなように、原判決後判明したところでは、民一が車内で被告人との話し合いを終え、自分の車で帰宅するため身代金小屋脇の農道を通りかかつた際、吉田実の車が道路中央に停車していたため、同人に車を移動させるよう求め、これに応じなかつた同人に対し、下車して難詰するなどした事実があるところ、同人が同小屋脇に停車したのは、身代金を置いて一旦自宅に立戻り、犯人からの一一時一六分ころの電話の件を聞かされて身代金を取りに再び小屋に来た際であるから、同所に到着した時刻は早くとも午前一一時三〇分をすぎているはずであり、他方、民一が被告人と別れて吉田実の車と遭遇するまでの時間は一、二分にすぎず、被告人は午前一一時ころから早くとも一一時三〇分ころまで民一と一緒に自動車内にいたことが明らかとなり、以上のとおり、午前一一時一六分ころ被告人が事務所にいて菅谷方へ架電することは不可能であつたのに、右架電を認定した原判決の事実誤認は明白であり、

(七)被害者の毛髪が被告人車内に存在しなかつたこと、被害者の指紋が被告人車に発見されなかつたことは被告人の無実の証明というべきであるのに、石塚きんが被告人車を拭いた事実があるとして右毛髪が持ち出され指紋が拭きとられる機会があつたものと認めた原判決には事実誤認があり、

(八)(1)原判決は、被告人の本件犯行の動機として新築工事代金の支払いに窮したことを認定しているが、右認定は、親戚への資金援助、農協などへの融資申込みをそれぞれしなかつたこと、預金残高の僅少であつたことにのみ基づくものであり、原審は、被告人に所有金員がなかつたとの認定に至るのに十分な審理を尽しておらず、その結果原判決の右認定は事実誤認を犯したものであり、なお、被告人が新築工事代金として昭和五三年一二月二〇日に支払うはずの六〇万円、翌年二月上棟時に支払うべき五〇〇万円の各支払を遅延したのは工事の瑕疵に原因するものであり、(2)二月二七日被告人が着用していたのは茶色のジヤンパーであつて緑色の防寒ジヤンパーではなく、従つて、後者の左胸ポケツトに入つていた菅谷方電話番号をその裏面に書き写してあつた小菅の名刺を利用して菅谷方へ架電することはできなかつたのに、当日被告人が緑色防寒ジヤンパーを着用していて前記名刺に記載の菅谷方電話番号によつて同人方へ架電することが可能であつた旨認定した原判決には明らかな事実誤認がある。すなわち、(イ)原判決は、二月二六日自宅を出るとき被告人が茶色のジヤンパーを着用し、しかも、二七日夕方取手で衣服を着替えるまで着衣を替えていなかつたとして被告人が二七日午前中に緑色の防寒ジヤンパーを着ていたことと矛盾する事実認定をしているから、被告人が二七日午前中緑色の防寒ジヤンパーを着ていたとすることには理由そご又は事実誤認があるというべきであり、(ロ)被告人が当時茶色のジヤンパーを着用していたことは、被告人が捜査段階でも原審公判でも一貫して供述するところであり、また、被告人の三月二五日付検面調書によると、緑色防寒ジヤンパーの着用は明白に否認されており、(ハ)二七日午前中に被告人を目撃した証拠として原判決に掲げられている殿田俊三、山田久夫、青木勇、高瀬孝、大久保きみ、竹川健一、浅野久市の捜査官に対する各供述調書をみると、その早い段階での調書には、被告人が二月二七日に緑色の防寒ジヤンパーを着用していた旨の記載は全くないのに、三月二五日以降の供述調書ではすべて同日に被告人が緑色の防寒ジヤンパーを着用しているのを見たものとなつており、目撃のときから日を経るに従つて供述が詳しくなり、かつ、記憶の根拠も十分明らかでないのは不合理であり、捜査官の誘導が窺われて、信用できるものではないのに、原判決はこれらを十分検討することなく証拠として採用する誤りを犯しており、(ニ)なお、被告人は二月二二日に茶色のジヤンパーを着て排水工事現場に現われたことは山田久夫の三月一四日付員面調書及び添付写真で明らかであるところ、被告人は寒い時は緑色防寒ジヤンパーを着ていたが、暖くなつてきた二月下旬ころは専ら茶色ジヤンパーを着用していたものであるから、二七日にも茶色ジヤンパーを着用していたことが推認され、以上の諸点から被告人が二月二七日緑色の防寒ジヤンパーを着ていたとする原判決の認定に事実誤認のあることは明らかである、

というのである。

しかしながら、原判示「被告人の経歴」、「犯行に至る経緯等」、「罪となるべき事実」、「犯行後の状況」は、原判決が掲げる関係各証拠により十分に認めることができ、また、原判決が「弁護人及び被告人の主張に対する判断」の項で詳細に説示するところは証拠に照らしおおむね相当として是認できる。すなわち、被害者吉田たけが被告人を犯人であると特定していること、犯人の身代金要求の電話の声と被告人の声の類似性、被告人所有のスズキキヤリイの左側前輪タイヤの模様と監禁小屋前農道から採取されたタイヤ痕とは同じブリヂストン製五、〇〇―一〇マイテイ・リブのタイヤであること、被告人のアリバイの不存在及びアリバイ工作、被告人は自宅の新築資金に窮していた事実、被告人は吉田亀次郎・たけ宅の様子を知悉していた事実、被告人は合理的な理由もないのに自宅の上棟式のおこなわれる二月二六日午前一〇時ころ自宅から姿を消した事実、被告人は散弾銃を自宅から秘かに取り出し、犯行後これを戻すことのできる状況にあつた事実、被告人は監禁小屋及び身代金要求小屋周辺の地理に精通している事実、被告人は二月二七日午前一〇時半前後ころ本来必要もないのに排水工事現場に現われ、身代金要求小屋を見張れる位置にいた事実、被告人は本件犯行当時吉田亀次郎宅及び菅谷朝一方へ架電可能の状況にあつた事実、被告人は菅谷朝一につき、その自宅の様子や同人が吉田亀次郎方と親しいことを知つていた事実、本件犯行前後の被告人の言動、被告人はその三月一八日付員面調書(一二枚綴り)において、一部の点を除いて犯行の概略を認めていること等原判決の掲げる諸事実を総合すると、原判示各事実は優に肯認しうるところである。そして、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を合わせ検討しても、原判決には何ら所論のような事実誤認の疑いは認められず、審理不尽、訴訟手続の法令違反、理由そごもない。以下、所論に即し説明を付加する。

所論(一)については、原判決がその判断の四項において詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認でき、また、さきに控訴趣意第四の所論(一)(1)、(2)、(3)、控訴趣意第一の所論(一)(2)、控訴趣意第三の所論(二)(1)、(ロ)に対し判断したとおりであり、原判決には所論のような審理不尽、事実誤認は認めることができない。すなわち、(1)の所論のうち、(イ)の点については、捜査官において監禁小屋付近で採取したタイヤ痕を隠匿したものとは認めることができないから、その審理不尽をいう所論は失当であり、付加説明すると、所論のうち(a)については、所論指摘のとおり写真第三三のタイヤ痕と符号〈2〉のタイヤ痕とは一致しているものと認められ、検察官は、当審において、写真第三三のタイヤ痕は符号〈2〉のタイヤ痕を石こうにより採取する前写真撮影したものであり、実況見分した警察官が石こうにより採取する前に撮影したと記載すべきところ、「石こうにより採取した個所より更に西方の地点のものである」旨誤記したにとどまると釈明するところ、格別これを疑うべき事情も認められないから、タイヤ痕隠匿の事実があるとは認められず、所論のうち(b)については、撮影角度によつて遠方の被写体が小さく写ることは当然であるから、所論写真第三四が符号〈1〉と〈2〉の石こうの採取状況を撮影したものでなく他の地点でのタイヤ痕採取状況を撮影したものであることを前提とし、二つの石こうが隠匿されているとする所論は失当である。所論のうち(ロ)の点については、原審では中田鑑定書、石川鑑定書、証人石川巧を慎重に取調べており、両鑑定書が所論のように非科学的であつて再鑑定を必要とするものとは認められないから、原審に審理不尽の違法があるとの所論は失当というべきである。所論の(2)うち(イ)、(ロ)の点については、中田鑑定書には信用性がないものとは認められないし、石川鑑定において、現場タイヤ痕と被告人車タイヤ溝幅の数値の違いを認め、右違いを測定上の誤差としてはいないとしても、右数値の違いは採取されたタイヤ痕の溝幅について溝の両端が明確でないためであるとするところは是認でき、従つてこの程度の差異を測定上の誤差とみるのが相当であるとする原判決には事実誤認は認められない。所論のうち(ハ)、(ニ)の点については、原判決が、石川鑑定は所論のように現場タイヤ痕と被告人車のタイヤ模様を別個のものであるという否定的結論を出したものでは決してなく、同一であるとの確認がとれなかつたとするのは、両者がいずれも同じ会社で製造された同型式のタイヤであるものの、その年間生産数が約二〇〇万本もあること等のゆえであるにとどまり、両者が同一とまでは断言できないという趣旨と解されるとしたのは、記録に照らし十分首肯できるところであつて、右鑑定の評価に関し何ら論理のすりかえも事実誤認も認められないから、所論は失当である。所論(3)のうち(イ)の点については本件現場タイヤ痕の状況及びその発見採取された現場の状況、被害者の被害状況等に徴し、右タイヤ痕を犯行のころに印象されたものと推認したことに誤りがあるとは認められない。所論のうち(ロ)の点については、所論は実況見分調書に記載された犯人車の走行経路だけしか犯人の車が走行しなかつたことを前提としているところ、控訴趣意第一の(一)(2)(ロ)の所論に対し判断したとおり、犯人の車は決して右走行にとどまつたものとは認められず、かつ、原判示の各捜査報告書に徴し明らかなように当時他に監禁小屋付近を走行した車が確認されなかつたことをも考えると、捜査官において現場タイヤ痕を一応犯人の車によるものと考え、これの鑑定を経たうえ、原判決が、右現場タイヤ痕を被告人車のタイヤと同じ会社で製造された同型式のものによるとし、本件犯行との関係について重要な間接事実をなす旨判示したことに事実誤認があるものとは認められない。

所論(二)については、原判決がその判断七項において被告人の自白調書の任意性・信用性について詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認でき、また、さきに控訴趣意第三の所論(一)に対し判断したとおり、右自白調書には任意性が認められ、原判示事実にそう限度で信用性も認められるのであつて、これを採用した原審の訴訟手続に所論のような違法(自由心証主義の限界逸脱)は毫も認められず、右の違法があることを前提として事実誤認をいう所論はその前提において失当である。所論は右自白調書の内容について種々論難するので、以下、所論に即し説明を加える。所論(1)については、関係証拠により自白調書に信用性を認めた原判決の判断は相当であつて何ら証拠法則に反するものとは認められず、所論は失当である。所論(2)については、原判決がその判断四項において説示するところは関係証拠に照らし相当として是認でき、また、さきに控訴趣意第四の所論(一)、控訴趣意第一の所論(一)(2)(ロ)、控訴趣意第二の所論(一)(1)、(2)に対し判断したとおり監禁小屋付近の現場タイヤ痕に見合うタイヤと被告人車のタイヤとはいずれも同じブリヂストン株式会社製五、〇〇―マイテイ・リブであつて類似ないし、酷似している点も認められることは、中田鑑定、石川鑑定により明らかであり、小貝川土手付近の原判示〈3〉の現場タイヤ痕については、前示のとおり、被害者を監禁する際の被告人車の走行経路と符合しないとしても、被告人車が同所付近を走行したのは被害者を監禁したそのときだけに限らなかつたことが窺われ、ただその点に関して被告人の自白がないにすぎないものと考えられるから、右の点をもつて自白と物証とが合致しないとして自白調書の信用性を論難する所論は失当というべきである。所論(3)については、原判決がその判断五項、六項6、7(ニ)において説示するところは関係証拠に照らし相当として是認できる。すなわち関係証拠によると、被告人が、二月二六日夜七時すぎから約一時間鳴毛たかと密会していたとの事実は認められず、また、二七日午前中工事現場で立会するなどしていて菅谷方へ第二回目の架電ができなかつたものということはできないのであつて、被告人の自白調書中の二六日夜の鳴毛たかとの密会に関する部分は虚偽であることが明らかであるが、原判決も説示するとおり右自白調書は否認から自白への変り目の際の供述を録取したものであつていわゆる完全自白にまで至らなかつたものであり本件犯行と矛盾する従前からの供述も一部捨て切れずに述べられたものがそのまま録取されたものと推認され、従つて、かかる記載が含まれているからといつて、決してその余の自白部分の信憑性が損われるものではない。また、二七日午前一一時一六分ころ事務所から菅谷方へ架電したことは自白調書の内容とはなつておらず、さらに、被告人が同日午前中工事現場で立会いをしていたとの点については、工事現場と事務所とは至近距離に位置するものであり、しかも車をもつていた被告人としてはその間をたやすく移動できる状況にあつたことからすれば、右の点に関する供述は必ずしもアリバイともいえないものであるばかりでなく、原判決は、被告人が二七日午前中排水工事現場に現われたことは本来その必要がないのに、身代金小屋を見張るためのものであつた旨本件犯行を証明する間接事実として認定しているのであつて、右の点に関する被告人の供述はいわば不利益事実の一部の承認ともみられないことはないから、右の供述が含まれることを理由に自白調書の信用性を否定する所論は明らかに失当である。所論(4)については、前示のとおり本件自白調書の内容は完全な自白ではなく、従来の否認の態度を改めはじめて犯行の大筋を供述したにとどまるものであるから、所論のように犯行の重要部分を欠落し供述に具体性の欠ける部分があるからといつて必ずしも供述が不自然ということはできず、むしろ、大筋において信用性を認めることができるものというべきである。所論(5)については、右自白調書の内容は、それが完全自白ではないとしても、犯行の重要部分の大筋においていずれも客観的事実と符合しているものと認められる。すなわち、所論のうち(イ)の点については、お婆さんを預つている旨の被害者宅への電話内容に関する被告人の供述は所論吉田恵美子の原審証言とその表現上の差異はあるもののその趣旨において符合しており、所論のうち(ロ)の点については、菅谷宅への電話の受話者も、当初電話に出たのは冨士江であり、犯人が同女に対し朝一を電話口に出すよう依頼したため同人が電話口に出たが、同人が耳が遠く、ダンプカーの騒音で電話を聞き取れなかつたことから再び冨士江が交替したことが認められ、同宅への第二回目の電話では、冨士江は電話口に出なかつたけれども、送話者側で短時間喋つたうえ電話を切つたのであるから、被告人の自白の中で、女の人が電話に出たとされていることは大筋において誤りはなく、かえつて客観的事実に符合しており、所論のうち(ハ)の点については、自白調書と被害者の原審証言とにおいて、被害者へ当初声をかけたその内容が、「組合の者だが」ということと「組合長のおつかさんですね」ということとは、いずれもこれを発言した犯人が組合に何らかの関係があることを前提としたものである点で所論のように大きな食い違いがあるということはできず、むしろ原判決は、犯人が被害者に対し、右の両方の言葉を申し向けたものと認定しているのであつて何ら所論のような食い違いはなく、また、犯人が被害者に対し組合の者だと言つて詐り連れ出したことと犯人が銃をもつていたため被害者が恐怖を感じて連れ出されたこととは両立しうる事実であつて何ら矛盾はなく、以上のとおりであるから、自白調書の内容と客観的事実とが符合しないものとする所論は失当というほかない。

所論(三)については、原判決がその判断二項において詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、さきに、控訴趣意第一の所論(五)に対し判断したとおり、被害者の供述は原判決の認定にそう限りにおいて信用性があるものと認められ、原判決がこれに基づいて犯人と被告人との同一性を認定したことに事実誤認は認められない。所論のうち(1)については、原判決もその判断中被害者の性格の個所で説示するように、関係証拠によれば、被害者は、極めて人嫌いで人前で話をしたくない特殊な性格の持主で、本件前に被告人とも話したこともなく、殆んど被告人の顔を覚えていなかつたもので、とくに被害時の恐怖感等によつて、被告人が被害者宅に出入りしていたという事実と被告人が本件の犯人であるということとを関連づけて認識していなかつたものと推認でき、また、被害者の前記性格にかんがみると、かりに捜査官によるその取調に際し或程度の誘導が用いられたとしても、原判示事実にそう限り、その供述の信用性に影響を及ぼすものとは認められない。所論のうち(イ)の点については、原判決も詳しく説示するとおり、被害者の当初の員面調書の内容は、被害直後の恐怖、疲労、興奮状態の下での供述であり、とくにその性格及び表現力の乏しい点と相まつて客観的事実と符合しない点が調書に記載されるに至つたものと推認されるが、日が経つにつれて落付きを取り戻し冷静になつてから、長男の嫁の恵美子の介添えもあつて真相に符合する事実を述べるに至つたものと認められ、犯人の年令・身長についての当初の供述と後の供述とに食い違いがあつても、後の供述はさきの供述の誤りを訂正したものであり、また、被告人の年令については、被害が夜間であつて被害者は必ずしも十分に犯人の顔を見ていたものではなく、もともと被告人は比較的若く見えるものと認められ、さらに、犯人の身長についても、被害者自身腰が曲つていて犯人の身長を正確には認識しえなかつた面もあると推認できるから、所論は理由がないものというべきである。所論のうち(ロ)の点については、さきに、控訴趣意書第一の所論(ニ)(1)(イ)に対し判断したとおり、被害者の二月二七日付員面調書の内容は、一晩監禁された直後の極度の恐怖・疲労・興奮状態下で供述を求められ、捜査官も被害者も事実の概略について問答を交わしたものと推認でき、被害者の三月二日付員面調書はかなり落付きを取り戻した段階での供述であり、さきの供述のうち誤つた点、不正確な点のうちその判明した部分を訂正したものと認められ、右各調書に所論のような食い違いがあるからといつて、その信用性をすべて否定すべきものとする所論は失当というほかはなく、被害者の述べる方法で監禁小屋を脱出できないとする所論が理由のないことはさきに判示したとおりであり、また、被害者が縛られた紐を自力でほどいたとの二月二七日付員面調書の内容が客観的事実に反することは所論のとおりであるが、前示のような精神状態下での供述であるうえ、右供述は三月二日付員面調書で補正されているのであるから、所論は理由がない。所論(2)については、原判決がその判断の二項において説示するところは関係証拠に照らし相当として是認することができ、とくにその判断二項3(三)「たけの性格」の個所で、被害者が反対尋問に対し殆んど黙り込むなどした理由について述べるところは首肯できるところであつて、犯人像に関する被害者の原審証言は、その捜査官に対する各供述調書、面通しの際の録音テープ、被害者をめぐる家族及び知人の供述とも合わせ考えると、十分信用性があるものと認められるから、これを否定する所論は失当というほかない。所論(3)については、原判決の判断二項1(二)に説示されているとおり、被害者は、警察での被告人に対する面通しで被告人を犯人として特定しており、原審公判でも被告人を犯人として特定していることは原判示のとおりであり、また、被害者が捜査段階で当初、本件前に犯人を見たことがないと述べていたこと並びに原審証言中に被告人は被害者宅によく来ていた人であるとする部分のあることは所論のとおりであるが、原判決の判断二項3に詳細に説示されているとおり、被告人がしばしば被害者方に出入りしていたことは認められるものの、被害者は極めて人嫌いで無口であり、来訪した被告人と話をしたこともなく、殆んどその顔も覚えていなかつたもので、警察での被告人の面通しの際も、「被告人を事件前に見たことがない。連れ出した男とすぐ判つた。」旨を、さらに、原審証言では、「被告人が被害者方によく来ていたかさつぱり知りません。」と述べている部分もあつて、これらと対比すると、被告人が被害者方によく来ていた人であるとする被害者の原審証言部分は、本件後に知つた客観的事実を供述したものとの疑いが強く、そのままは採用できないから、被害者が見知らぬ人であるとしていた犯人と被害者の知つているとする被告人とは別人であるとの所論は失当である。所論(4)については、原判決がその判断二項3において説示するところは関係証拠に照らし、相当として肯認でき、被害者の証言能力に欠けるところはなく、同人の供述の変遷、同人の供述が監禁小屋の客観的状況と符合しない部分もあることなど所論指摘の点を考慮して検討してみても、同人の供述には原判示事実にそう限り信用性があるものと認めることができ、原判決の信用性の判断には所論のような記憶心理の法則及び採証法則に反するものとも、弁護側への偏見があるものとも認められないから、所論は失当である。

所論(四)(1)については、原判決がその判断三項において詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができる。犯人としては声の特徴から発覚しないよう電話の話し方を作為したものと推測されるところ、それにもかかわらず、吉田恵美子らは被告人の声と似ていた旨原審で述べており、原判決が吉田恵美子ら三名の聴覚印象を比較検討し評価する手法に誤りはなく、吉田恵美子ら三名の各聴覚印象を総合して二月二六日、二七日犯人からかかつてきた電話は被告人の声と極めて類似したものと認定した点に誤りがあるとは認められず右声の類似を間接事実の一つとして本件電話の声の主を被告人であると認定した原判断は相当でありこれに反する所論は採ることができない。所論のうち(2)については、さきに控訴趣意第四の所論(二)に対し判断したとおりであつて、原判決が誤つた論理によつて事実誤認を犯したとは認められないから、所論は失当というべきである。

所論(五)については、原判決がその判断五項において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認でき、鳴毛たかの原審証言、被告人との二月二六日の密会を否定した「たか」の捜査官に対する供述調書は、「たか」が、捜査官の取調に先立ち、その夫に対し、被告人との交際を認めながらも前記密会を否定しただけでなく、被告人からアリバイ工作の依頼のあつたことなどを打明けたことをも供述したもので、十分信用性があり、同女が同夜同家付近道路傍に立つているのを見たという鈴木秀雄の三月一九日付員面調書の内容も信用することができ、他方、二六日夜の被告人との密会を認めたという「たか」の捜査官に対する当初の供述は信ずるに足りないことは原判決の説示するとおりであり、鳴毛京子、鈴木秀雄の捜査官に対する供述調書は、何ら被告人との密会を認めたという「たか」の当初の捜査官に対する供述にそうものとは認められない。所論は京子と「たか」の各供述の食い違いをもつて「たか」の原審証言を信用できない理由とするが、京子の捜査官に対する供述によれば、京子は二六日午后七時二〇分頃自室を出て外のトイレへ行く途中、居間や台所に母たかの姿を認めなかつたというのであり、京子、たか双方の供述に時間的にある程度の幅があることなどを考慮に入れると京子が原判示(原判断五項2参照)のように右時刻頃、立待ち先から一旦家に戻つた「たか」の姿を認めなかつたとしても、格別不自然不合理であるとは考えられず、その他京子の捜査官に対する供述と「たか」の原審証言を対比しても、「たか」の原審証言の信憑性を否定するような食い違いがあるものとは認められない。さらに、「たか」と飯島の各供述の食い違いをもつて「たか」の供述に信憑性がないものとする所論については、飯島はさきの供述を四月一〇日付員面調書で訂正して供述を変更するに至つた理由も述べており、その理由も首肯でき、結局、飯島と「たか」の各供述の間には所論のような食い違いはないから、所論は明らかに失当というほかない。「たか」の供述内容自体に矛盾があつて信用できないとする所論のうち(イ)の点については、関係証拠によると、「たか」はその待つていた場所で南北から来る自動車の動向を見ていたことが窺われ、その場所は、夜間であるから被告人車が来ればそのライトの光でわかる場所であると推認されるのであつて決して不自然とはいえず、所論のうち(ロ)の点については、「たか」の待つていた場所は、夜間のことではあるし、農道上に出たり引込んだりしていれば必ずしも集会に集まる人の目に曝されるものではないと考えられ、なお、その場で被告人と密会するわけではないから多少人目に触れてもさして支障はなく、現に鈴木秀雄と会つて話を交わしているのであつて、所論のいうような不自然さはなく、所論のうち(ハ)の点については、前示のとおり、「たか」は漫然と被告人車を待つていたわけではなく、午後七時三〇分ころから午後八時一〇分ころまでの間約四〇分間待つ間に車が南方から二台、北方から一台来るのを見てその度に被告人ではないかと様子を窺つていたことが認められ、また、被告人が来れば同人の方からも連絡をとることが推認されるから、「たか」が土手まで被告人車を確かめに行かなかつたとしても、「たか」の行為に格別不自然さはないから、その供述内容自体の矛盾をいう所論は失当というほかない。以上のとおりであつて、二月二六日夜の被告人との密会を否定した「たか」の原審証言等は信用できるものというべきであるから、同証言に基づき二月二六日夜の原判示各罪となるべき事実に関する被告人のアリバイを否定した原判決には何ら事実誤認は認められない。

所論(六)については、原判決がその判断六項6において詳細に説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、二月二七日午前中の被告人の行動について原判決の説示するところには所論のような事実誤認の疑いがあるものとは認めることはできない。すなわち、所論(1)のうち(イ)の点については、鈴木一三の三月一四日付員面調書によると、被告人は二月二六日午前九時ころヒタチ緑化株式会社社長たる右鈴木を訪ね、同人に対し、わざわざ「二月二六日、二七日は上棟式があるから休ませてくれ。」と諒解を求めているのにかかわらず、実際は自宅の上棟式には出ず、二七日に本件現場に現われていること、青木勇の三月一九日付検面調書によると、排水工事は設計通りにおこなわれていてヒユーム管の基礎部分の地盤沈下などを考慮すれば必ずしも手直しを必要としなかつたこと等に照らし、被告人が工事現場に現われ工事の手直しを求めたことは身代金小屋を見張るための偽装・口実にすぎないとした原判決の説示部分は相当と認められ、これに反する所論は失当である。所論のうち(ロ)の点については、関係証拠によれば、本件身代金小屋は犯人の指定したものと認められ、これを否定する所論に理由のないことは、さきに、控訴趣意第一の所論(二)(2)に対し判断したとおりであり、また、所論のうち(a)の点については、司法警察員関徹也作成の三月二七日付実況見分調書によると、共同企業体事務所の階段上部通り場出入口から身代金小屋全体及び同小屋に出入する者の様子を見通すことが可能であり、同事務所二階事務室内部からでも同小屋の上部を確認できることが認められるから、同事務室からの同小屋への見張りを否定する所論は失当というべきである。所論のうち(b)の点については、司法警察員石崎誠作成の三月一八日付実況見分調書添付写真第九によると、所論の水田の中の道から身代金小屋を十分見通すことができるものと認められるから、その道から同小屋が見えないとして同小屋への見張りを否定する所論は失当である。所論のうち(c)の点については、前同司法警察員作成の三月二三日付実況見分調書添付写真第六ないし第九によると、工事現場から身代金小屋の見通しは中腰より以上の姿勢であれば可能と認められるから、所論は失当というほかない。所論のうち(d)の点については、所論は車内運転席の被告人が斜め後ろ方向を向けば身代金小屋を見ることが可能であることを前提としているところ、たとえ民一と会話をしていても、小屋を見るため斜め後ろを振り向くというような動作は極めてたやすいものと認められるから、所論は明らかに失当である。所論(e)の点については、青木勇の三月三日付員面調書によると、同人は二月二七日午前排水工事現場に自己の普通乗用自動車を運転して来ていたこと、被告人も車に乗つて現場に来ていたこと、青木が当日ヒタチ緑化へ行つたときは自己の車を使用していることが明らかであつて、同人が所論のように当時被告人車を運転したものとは認め難く、これに原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示のように被告人が身代金小屋を見渡せる国道二九四号線を少なくとも二往復は自ら被告人車を運転走行したものと認められ、しかも、前示青木の員面調書によれば同人が被告人に同僚作業員浅野の所在を尋ねたところ、被告人が先になつて事務所へ向け車を走らせたというのであつて、被告人が自らの判断で車を走行させたことが明白であるから、被告人が国道二九四号線上を一度しか運転していないとか、事務所へ向つたのは青木に促されて行つたものであつて身代金小屋見張りのためでないとする所論は失当である。所論(2)については、原判決がその判断六項7(二)において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、被告人は、二月二七日午前一一時二〇分前後ころ事務所から菅谷方へ架電可能であり、犯人の菅谷方への二回目の架電と被告人の事務所での架電とは、通話時間、話し方、電話の切り方が極めて似ていたとする原判決の説示は肯認できるのであり、原判決の判断三項に説示されているところも合わせ考えると、菅谷方への第二回目の架電を被告人によるものと認定した原判決に事実誤認があるとする所論は失当というべきである。所論のうち(イ)の点については、さきに、控訴趣意第一の所論(一)(6)及び所論(三)(2)に対し判断したとおりであり、検察官は、原審第一四回公判において菅谷朝一方への所論架電に対しては録音の装置をしなかつたとし、当審では逆探知の事跡がない旨答弁したが、第二回公判においてこれを削除し、さらに、逆探知した結果についての証拠が存在しないとしているものであるところ、水海道電報電話局長作成の昭和五七年五月一一日付捜査関係事項照会回答によると、右逆探知に関する資料の存在しないことが窺われ、また、いはらき新聞(二月二八日付)、朝日新聞(三月一日付夕刊)によると、菅谷方への第二回目の電話は水海道電報電話局管内から架電されたもの(もつとも、二月二八日付常陽新聞によると、右電話は水海道電報電話局から架電された旨報道されているが、前示他の二紙の報道に照らし、同局管内の趣旨と推認できる。)であるが録音は失敗した旨報道されていて、検察官の前示釈明を疑わしめる証拠はなく、茨城電気通信部長作成の昭和五六年一一月六日付及び昭和五七年三月二五日付各捜査関係照会事項回答によると、水海道電報電話局は集中局であり、その下部には谷和原局、守谷局外三局の端局があり、水海道電報電話局は端局相互の電話交換をおこなつており、共同企業体事務所の電話は、谷和原村全域を加入区域とする谷和原局の区域に含まれ、他方、菅谷朝一方の電話は、守谷局の加入区域に含まれていると考えられるから、水海道電報電話局管内の谷和原局から水海道電報電話局を経由して同局管内の守谷局の菅谷朝一方に電話の通ずる可能性は十分肯認できるのであり、従つて、水海道電報電話局管内にある本件事務所からの架電を認定した原判決と右各報道内容とは矛盾せず、これに反する証拠はないから、原判決には所論のような事実誤認があるとは認められないのであつて、所論は失当といわざるをえない。所論のうち(ロ)の点については、菊地文子の員面調書によると、同女は二月二七日午前一〇時三〇分ころか午前一一時ころ事務所を離れており、その離れた時間は、二、三分の短い時間ではなく時間の幅のあることが認められるだけでなく、同女は事務所内で仕事をする際被告人が来たかどうかについて関心をもつていたとは思われないから、単に被告人に気づいていないにすぎないと認められるのであつて、同女の供述には所論のような証拠価値があるものとはいえず、しかも、高瀬孝の三月二九日付員面調書によると、同人は二月二七日午前一一時三〇分前後ころ事務所の二階から被告人が降りて来たところで、「めし食べたつぺ」と言つたことが認められ、また、後記殿田供述をも合わせ考えると、菊地文子の員面調書の内容はにわかに措信できず、従つて、二七日午前一一時一六分ころ被告人が事務所から架電することが可能であつたと認定した原判決を、菊地の員面調書を根拠として論難する所論は失当というべきである。所論のうち(ハ)の点については、殿田の員面調書及び検面調書に明らかなように、被告人は殿田に背を向けて架電したというのであり、殿田は仕事をしながら横目で見ただけであり、通話内容を聞く気も暇もなかつたから内容がわからないというだけであつて、内容の判らない理由についても首肯できるうえ、菅谷方へかけられた電話の内容は極めて短いものであり、かつ、第三者が傍にいれば、これに本件のごとき内容の通話を聞かれないよう配慮するのは当然のことであるから、危険を冒してまで架電するはずがないという所論は失当であり、また、殿田は、本件に関しては全くの第三者であり、被告人が土地改良区の理事という立場にあることから平素被告人とは協力関係にあつて被告人を陥れるためことさら虚偽の供述をする理由も必要も全くなく、その供述内容も、被告人が事務所の電話をことわりもなく使用し、怒つたような感じで電話をして一方的に切つたという異常な行動を見たという具体的なものであつて、殿田は原審で弁護側証人として尋問されても同趣旨のことを繰返し述べているのであるから、殿田の供述は信用するに足りるものというべきであり、被告人の架電時に殿田ひとりしかいなかつたという点を論難する所論は失当である。さらに、殿田供述と山田久夫の供述とを対比してみると、殿田供述では被告人が山田に対し事務所において工事の手直しの話をしたことになつているが、山田は工事現場でその指摘を受けたと言つていて被告人から事務所でも工事の手直しを命じられた事実を供述していないにとどまり、従つて、両供述は必ずしも矛盾するものではなく、これをもつて殿田供述があいまいであるとしてこれを弾劾することはできないから、殿田供述を信用できないものとし、事実誤認・審理不尽をいう所論は失当である。所論のうち(二)の点については、菊地民一の三月三日付員面調書によると、二月二七日午前一〇時ころ事務所の前付近で父親たる被告人の車を見つけて被告人と話をして別れ、被告人は事務所の方へ行き、民一はその後自宅に戻つて被告人の実弟吉田英に父親が事務所のところにいた旨話し、吉田英の運転する車で午前一一時ころ出かけてさきに被告人と行き会つた場所へ行つたが被告人に会えずに自宅に戻つたというのであり、民一は被告人の長男であるからことさらに父親の不利益な事実を述べるものとは考えられず、その内容は具体的で、その信用性を疑うべき事情は認められないうえ、吉田英の三月六日付員面調書の内容も、同人は二七日午前中民一を車に乗せて排水工事現場まで行つたが被告人と会えず引き返したというものであり、民一の前記供述を十分裏付けうるものである。しかも、被告人の三月五日付員面調書によると、二月二七日午前中事務所へ行つた事実を被告人自身認めるところである。被告人は捜査官に対しても原審においても、二月二七日午前中排水工事現場付近の自動車内で民一と話をしたと述べているが、その時刻については一一時近くとか一一時ころとしその後被告人が事務所へ行き同所を出たのが一一時過ぎであるとしているのであり、決して午前一一時三〇分ころまで民一と車内で話をしていたなどという事実を述べていなかつたのに、当審に至つて唐突に一一時ころから一時間近く民一と話をしていた旨述べるに至つたことをも考えると、右供述は到底信用できないものである。なお青木勇の三月三日付員面調書によると、同人は、二月二七日午前一一時二〇分ころフタバドライブインの前あたりに停つていた軽貨物トラツクの運転席に被告人、助手席に(民一と覚しい)若い男が乗つているのを見て声をかけ、車で、被告人の車とともに事務所へ向つた旨述べていることが認められるが、右青木の三月一九日検面調書及び原審証言によると、同人が事務所で菊地と別れた時刻は午前一一時か一一時半ころとしていて、その供述する時刻の点についてはかなりの幅のあることが看取され、また、山田久夫の三月二日付員面調書及び三月一九日付検面調書によると、同人が、二七日午前中被告人と民一が会つているのを見た時刻は午前一一時少し前ころないし午前一一時ころとされているから、青木の前記員面調書中被告人を認めた時刻の点に関するかぎりたやすくこれを信用できない。従つて、被告人が所論時間に民一と車の中で話をしていたから事務所での架電が不可能であるとの所論は理由のないこと明白である。所論のうち(ホ)の点については、当審で突然このような主張がなされるに至つたものであるところ、所論にそう民一の当審証言、被告人の当審供述があるが、民一は捜査官に対しても原審においてもそのような事実は全く述べていなかつたのであり、しかも、民一が、身代金小屋脇農道で停車していた吉田実に対し車を移動させるよう求めたり、これに従わなかつた同人に暴力を振つた旨当審で証言するのに対し、右吉田実は当審でこれを全く否定する証言をしており、右証言は十分信用できるものと認められ、民一の当審証言及び被告人の当審供述は信用に値せず、従つて、これを前提に被告人が事務所から菅谷方へ架電することを不可能とする所論は明らかに失当というほかない。

所論(七)については、原判決がその判断の八項1において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができる。すなわち、被告人の実妹たる石橋きんの員面調書によると、三月一日被告人車の運転席、助手席、ダツシユボード、ミラーガラス、両側のガラスの下のボデイをぞうきんで拭き取つた旨供述しているほか、三月四日と五日の検証の際は、左側助手席のドアの部分の泥やほこりがきれいに拭き取られており罪証隠滅工作のおこなわれた疑いがあるから、被告人車から被害者の毛髪及び指紋が発見されなかつたゆえに被告人が無罪である旨の所論は失当である。

所論(八)(1)については、原判決がその判断の六項1において説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、被告人の本件犯行動機として新築工事代金の支払いに窮していたとする原審の認定は肯認できるのであるから、被告人の所有金員について審理不尽がありその結果事実誤認があるとする所論は失当であり、なお、被告人が新築工事代金を支払わなかつたのは工事瑕疵があつたためである旨の所論も、関係証拠に照らし、認めることができず、失当というほかない。所論(2)については、原判決がその判断六項7(二)、七項5(三)で説示するところは、関係証拠に照らし、相当として是認することができ、さきに、控訴趣意第四の所論(五)に対し判断したとおり、二月二七日被告人が着用していたのは緑色の防寒ジヤンパーであつたとする原判決の説示に誤認があるものとは認められないが、よしんば二七日着用のジヤンパーが緑色のものでなかつたとしても、被告人の三月二二日付員面調書及び三月二六日付検面調書によると、もともと被告人は捜査段階で菅谷朝一方の電話番号を暗証できるほど記憶していたことが明らかであるから、前記菅谷方への架電の際にも電話番号を記憶していたものと推認でき(原判決が被告人は菅谷方の電話番号を明確には記憶しなかつたと説示する点はにわかに首肯しがたい。)、あえて緑色防寒ジヤンパー内にあつた名刺裏の電話番号を見る必要もなかつたものと認められ、従つて、右ジヤンパー着用の有無は本来原判決の結論に何ら影響を及ぼすものでもなく、いずれにしても、所論は失当というべきである。所論のうち(イ)の点については、さきに控訴趣意第四の所論(五)に対し判断したとおりであつて、被告人が二七日午前中緑色防寒ジヤンパーを着用していたとする原判決には理由そご、事実誤認があるものとは認められないから、所論は失当である。所論のうち(ロ)、(ハ)の点については、なるほど、被告人は、原審公判及び検面調書では二七日の緑色ジヤンパー着用を否認しているが、所論にかんがみ、殿田、山田、青木、高瀬、大久保、竹川、浅野の捜査官に対する各供述調書を検討しても、右各調書中の被告人の着衣に関する供述内容の信憑性を否定すべきものとは認められず、右各調書によると、被告人が二月二七日午前中緑色防寒ジヤンパーを着用していたことが認められるから、所論はいずれも失当といわざるをえない。所論のうち(二)の点については、二月二二日の被告人の着衣をもつて二七日の着衣が推認されるとする所論は飛躍した独自の見解であり到底採用できるものではない。従つて、原判決には所論のような事実誤認は認められない。

以上のとおりであるから、原判決には所論のような各事実誤認等はなく、論旨はいずれも理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中二〇〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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